投稿者「林英紀」のアーカイブ

パスタのご案内

皆様、こんにちは、今週のパスタ
オマールに、アボカド中心ですが、他になんでも入っています。
まるで、西洋懐石

当店は、原価率50%up?

ルーチェロータリークーペ⑤エンジン組み立て

日本で1番美しく、儚い車

アペックスシールも手に入り、注文していた大きい方のOリングも、送られて来ました。
カリスマ整備士が自作の、スウィングする台に乗せて、エンジンを組みます

前側のサイドチェンバーにローター乗せ、Oリングない所は、液体パッキン塗ります

シリンダー側、大きいOリング2個と、小さいOリング 19個はめます。オレンジのは、液体パッキンです

シリンダーはめ込みます。

アペックスシール差し込みます。

アペックスシール、ローター側に板バネがあり、回転によるローター角・シリンダー間、隙間の変化に対応します

センターチェンバーはめ込みます。チェンバーは鉄で赤く塗ってあります(整備士の趣味⁈)。アルミのシリンダーはそのままです

台を反対側にスウィングさせ、シャフトを差し込み、もう一つのローターをはめ込みます。
こうしないと、ローターに差し込んだサイドシール、コーナーシール(レシプロエンジンのピストンリング)が落ちる可能性があります。

後ろ側のシリンダー乗せ、Oリングはめ込みます。

後ろ側のサイドチェンバーはめ込みます。

開いてる穴、左手二つが排気孔、右側4つ(サイド2個、センター2個)が吸気孔、ここに来る時はガソリン混合気になっています。

22本のボルト、締め込みます。

後、フロントカバー(磨き上げています)と、オイルパン付ければ、大体完成

エンジンかかるかな⁈

コーニシュ物語⑦:フライイングレディ(1)

 さて、このパルテノングリル上に鎮座するのが、「フライイングレディ」とも呼ばれるThe spirit of Ecstasy です。これは、1910年頃の自動車雑誌の編集者でもあったジョン•ダグラス•モンタギュー公が、自分の所有するシルバーゴーストにふさわしいマスコットを装着しようと、友人の彫刻家チャールズ•ロビンソン•サイクスに依頼して創作させたもので、モンタギュー公の父の秘書エノレア•ヴェラスコ•ソーントン嬢をモデルとし、ルーブル美術館の

階段踊り場にある、サモトラケのニケ像をイメージしたものです。

 筆者も、パリに行くと必ずルーブル美術館に行くことにしていました。この美術館は広大で、詳しく見て回ったら3日あっても足りないと言われる位ですので、目標を決めています。それは、ナポレオンのお抱え画家、ダビットの通称「ナポレオンの戴冠式」、正式には「1804年12月02日、パリのノートルダム大聖堂での大帝ナポレオン一世の成聖式と皇妃ジョセフィーヌの戴冠式」という、縦6m 横10mの大作に再開する為です。ナポレオンが冠をささげる立場にあるという、その権威を現した絵ですが、中に描かれている400余りの人間達の視線が、ひざまずいて首を前に傾けたジョセフィーヌ頭の上で、まさに冠を授けようとしているナポレオンの手に集中しており、時間を超えてその緊張感が伝わってきます。また、その400余りの人々の視線が、自分にも向けられているような錯覚に陥り、しばらくその絵の前に佇むと、そのパワーをもらったような気持ちになります。

 この展示室は、ルーブル美術館を入って左手奥に行き、1階からサモトラケのニケ像の置いてあるダリュウーの階段の踊り場を通って2階に上がり、人だかりのいる「モナリザ」の絵の展示室を過ぎた奥に「フランス絵画の部屋」としてあります。

 同じ部屋には、ドラクロアの「民衆を率いる自由の女神」(1830年、259㎝×325㎝)や、ジェリコーの「メデュース号の筏」(1819年、491㎝×716㎝)等のドラマティックな大作もあります。特に後者は、国際的スキャンダルであった海軍メデュース号の座礁事件を題材としており、王政復古した政府下における軍指揮官の無能さを、暗に批判しているものとも言われています。ジェリコーは最近起きた悲劇的事件を自ら題材に選び、生き残った15人のうち2人から事情を聴取。147人の乗組員が急ごしらえしたという筏の模型を作り、死体置き場や病院に行き、死人や病人の肌の色や質感を観察して、その上での飢餓、脱水、食人、狂気の様を描いたとされています。

 この作品は、当時の賛美的で平静、秩序を旨とした新古典主義から脱却し、初期ロマン派に分類され、ドラクロアらに影響を及ぼしています。

コーニシュ物語⑥パルテノングリルの変遷

 シルバーゴーストのパルテノングリルには、まだspirit of statue(フライング・レディ)も載ってなく、フィンもありませんでした(写真1)。ファントムⅠになると、縦フィンが付きます(写真2)。この時代「ベビーロールス」とも呼ばれた20HPのロールスロイスには、横フィンのもありました(写真3)。

写真1

写真2

写真3

 そこで、パルテノングリルのこの100年の変遷を、当館の車で比べてみました。

そこで、パルテノングリルの変遷を当館の車で見てみましょう。

1936 25/30 アーサーマリナーコーチビルド
横55cm、縦69cm、14フィン、
ラジエター水タンクを兼ねています

1938 ファントム3 HJマリナーコーチビルド
横58cm、縦70cm、14フィン、
ラジエター水タンクを兼ねています(上部)

1954 シルバーレイス フーパーコーチビルド
横55cm、縦57cm、14フィン、
水温により開閉する

1963 シルバークラウド ツーリングリムジン100、ジェームズヤングコーチビルド、
横52cm、縦58cm、20フィン、
スタンダードモデルと同じ

1972 コーニッシュクーペ マリナーパークワードコーチビルド、
横55cm、縦40cm、22フィン、
オープンモデルと同じ

世界 19台、日本1台の純正ピンクメタリック、しかも最後の1台、ロールスロイス史上、最高にお洒落れ、と、個人的に思います。

1973 ファントム6、マリナーパークワードコーチビルド、
横55cm、縦67cm、20フィン、

1976 シルバーシャドウ2 スタンダードスチールモデル、
横56cm、縦37cm、22フィン、
ヘッドライトワイパーついてる

1976 カマルグ ロールスロイス唯一の社外デザインーピニンファリーナデザイン、マリナーパークワードコーチビルド、
横69cm!、縦38cm、26フィン!、唯一4度前傾している

1991シルバースパー2 スタンダードスチールモデル、
横65cm、縦35cm、24フィン
珍しい四角四つ目

コーニッシュ5、マリナーパークワードコーチビルド、
横65cm、縦31cm、24フィン、
プレス鉄板に、クロムメッキになる! 
ロールスロイス社がBMWに身売りされる前の、最後のモデル!
コストダウンされた姿に、哀愁が漂う
フライイングレディも隠れる

職人の手間と、心意気
ステンレスを内側から溶接して作るグリル上部
コーチビルドモデルは、エッジが鋭い!
溶接も、ヤスリかけも、最高の技術で行われている↓

スタンダードモデルは、エッジが丸みを帯びているーそこら辺のキッチンと同じ↓

さらに、コーニッシュ5になると、鉄板をプレスしクロムメッキ!、継ぎ目もありあり!
悲しい

しかしこのコーニッシュ5は、セラフとも、アズールとも全く違うボディ設計、2000年から3年間で374台しか作られていません。しかも日本はこの間不景気だったので、税込みで5000万するこの車は、8台しか売れなかったそうです。

イカール④ 美女と猫

皆様こんにちは

美女には、犬より猫の方が似合うかも?
特に、貴族階級の女性には

光が入って上手く撮れていませんが、実物はもっと可愛いですよっ

フィギュアの猫、版画のより大きい!
ちょっと怖い!

うちの、ラグドール仲良し兄弟

コーニシュ物語⑤:パルテノングリル

 ロールスロイスは、他の車と並んでいると、やはり何か際立った高級感が漂います。その理由の一つは、フロントに燦然と輝くパルテノングリルと、その上のフライイングレディの存在でしょう。

 最近の車によくみられるメッキ部分の多くは、プラスチック部品の上に銀メッキしたものですけど、ロールスロイスのグリルはステンレス鋼が精緻に加工されたものです。このパルテノングリルの誕生に関しては、このお知らせの8番目に記載してあります。

 全てに見た目の美しさを追求したのが、エットーレ・ブガッティですけど、FHロイスさんも、外観の美しさを求めてたどり着いたのが、このパルテノングリルです。「シルバーゴースト」を、車体を全てシルバーに塗ってデビューさせた事といい、ロイスはデザインに関しても完全主義者であったわけです。一時空力的な不利からFHロイスは、これを変えようとしたことがありますが、マネージメント担当、ロールスロイス社創立の第三の男、グロード・ジョンソンにより却下され、このグリルのデザインは100年続くことになります。

 40年近く前、テキサスのがんセンターで2年ほど研究員として働いた後、筆者は2週間ほどヨーロッパを旅行して廻りました。ヨーロッパ最後の地がギリシャで、アテネに着いたのは夕方でした。アテネの街の中心部に入ると、一番に目に入ったのが、アクロポリスの丘に立つパルテノン神殿です。すでに夕暮れに差し掛かった街の中で、夕日を浴びて真っ白に輝く神殿の美しさは、今でも目に浮かびます。翌日朝早く神殿を訪ねると、今度は反対側から朝日を浴びる神殿を眺めることが、出来ました。

 このお知らせの8番目に記載した通り、この神殿はエンタシスという人間の目に映る錯覚を矯正するように、様々な技法が使われています。その下に立って見上げると、「あらゆる西洋建築のルーツはここにあり」と、感じさせられます。この白い大理石で出来た建物は、ある時は弾薬庫に使われたりしたそうで、2500年に渡って人間たちの営みをこの丘の上から見下ろしてきたという、歴史の重みを感じます。これはそれまで見てきたフランスやイタリアの壮大な教会や宮殿に勝るものです。

シルバーゴーストのパルテノングリル

ファントム3のグリル

当社グループの医療法人の施設です

コーニッシュのグリル

コーニシュ物語④コーチビルダーとは

 コーニシュの歴史は、1967年に4ドアサルーンの「シルバー・シャドウ」ベースに、コーチビルダーのマリナー・パークワード(以下MPW)により作成されたボディを乗せた「MPW・ドロップヘッドクーペ」により始まります。

 戦前、ロールスロイス社は、シャーシと機関、駆動系だけを供給し、ボディは「コーチビルダー」と呼ばれる会社が、顧客の好みに応じて手作りしていました。馬車の時代から熟練した職人を抱え、美しい木目の木材や豪華な生地を使い、贅沢な客室を作っていた会社群で、中には数百年の歴史を持つものもあります。

 戦争に勝った英国はその代償として多額の借金を抱え、戦後、高価な運転手付きの車が売れなくなります。実際、王侯貴族か一番裕福な層用に製作されるファントムシリーズは、1939年にファントムⅢが生産中止(当館のは1938製)の後、1950年にファントムⅣが生産開始となりますが、18台しか生産されていません。

 さすがのロールスロイス社も時代の波に逆らえず、自社でボディ製作を始め「スタンダードスチールボディモデル」として売り出します。当館に展示用として置いてある「1961シルバークラウド」「1976シルバーシャドウ」「1990シルバースーパーⅡ」がこれにあたります。

 しかし、プライベートな2ドアモデルや豪華なリムジンなど、複雑なボディ製作は、それまで通りコーチビルダーが担当することになります。1960年代、英国には300余りのコーチビルダーがあり、その最高峰に君臨するのが、このコーニシュⅡを含め、当館の多くの車を作ったマリナー・パークワードです。

 この会社は諸説ありますが、当館1936年製25/30を作ったアーサーマリナー社、1954年製シルバーレイスを作ったHJマリナー社、1938製ファントムⅢを作ったパークワード社を合併させて、ロールスロイス社が傘下に置いたものです。

 ロールスロイスがBMWに、ベントレーがフォルクスワーゲングループに身売りされる前のクルー工場に於いては、ロールスロイス社の職人に混じり、MPWの職人集団がアルミ板を木製ボディに当てて木槌ハンマーで打ち、あの美しい局面を作り出し、それを溶接したり、クルミの木の根っこを削りウッド部分を製作したり、コノリー社製の最高級レザーを裁断したりの業務にあたっていたそうです。

 現在このクルー工場では、フォルクスワーゲン傘下となったベントレー特注モデルの製作にあたっているそうです。

ルーチェロータリークーペ④

日本で最も美しく、儚い車、しかも当時最も先進的でした。

マツダが世界で初めて実用化(ドイツヴァンケルが開発)
したロータリーエンジンを積んだ、マツダ初めてのF F(フロントエンジンフロントドライブの略)、天才ジウジアーロデザインで日本で初めての三角窓のないクーペスタイル。しかも、当時小型スポーツカーが大流行の中に於いて、一回り大きい車体作りでありました。

そのため高価で若者向きではなく、3年間で976台しか作られませんでした。

ロータリーエンジンの三角形のローターの角は、カーボンファイバーをもっても10万キロ迄で摩耗、またマツダの工場は海辺にあったため、車体の腐食もはやく、現存するルーチェロータリークーペの数は極めて少ないと、思われます。

当社としても、3台手に入れましたけど、最終的に1台レストアがやっとと思われます。

カリスマ、整備士さん、頑張っています。しかし、次次と難関が訪れます。
 アペックスシールは手に入り、ガスケットは手作り、しかしシリンダー本体同士の間に入る、0リングが1つ(4つのうち)が足りません。

頑張ってください

イカール③ 美女と犬

イカールの版画は、美しい女性が主役ですけど、脇役には、様々な動物が描かれています。中でも1番多いのが、犬です。

1番有名なのが「スピード」のシリーズ

光が入って上手く撮れていませんけど、実物はもっと素敵ですよ

フィギュアになると、犬の存在感が増します

 

コーニシュ物語③コーニシュ通りの思い出

 コーニシュの語源は、ヨーロッパのお金持ち達が別荘や豪華クルーザーを所有する、南フランス〜イタリアのリビエラ地方の、ニースからモナコに行く道路の名前です。

 コーニシュを買って数年後、妻とこの地方に旅行に行きました。泊まったのは歌で有名なホテル・ル・ネグレスコですが、私が「ラブホテルみたい(外観の話)」と言うと、「日本のラブホテルが真似したのよ!」と、妻に怒られました。

 モナコに入ると、F40が普通に路上駐車してあるのにびっくり。また007の映画などに出てくるカジノの前には、スカイブルー塗り替えられたクラウドⅠが駐車してあり、その場に溶け込んだ美しさにうっとり。やはり、「サーフラインがあるのが本当のクラシックロールス」と言う考え方もあるのに納得。後のファントム6購入の布石となりました。

 山側のグランド・コーニシュ通りをレンタカーで走っていると、昼飯時間となり、タイミング良くレストランがありました。外観は普通ですけど、表の黒板に「Truffe Salad Lunch」とえらい高い値段が書いてあったので入ってみることにしました。田舎者の私にはTruffeの意味がもう一つ解ってなかったのです。運ばれて来たサラダには、普通のディナープレートいっぱいの野菜の上、その野菜が見えないくらい、直径5㎝以上と思われる厚めにスライスされたトリュフがのっていました。