投稿者「林英紀」のアーカイブ

広島、呉のサグラダファミリア、ナゥ

笹子島、昭和の車展示室と、2階コテージ、屋根直しで足場追加しました。

 

 

林酒造着物博物館は、

看板付きました。

音戸大橋から倉橋町に入ると

宇和木峠中腹

トンネル潜り、本浦の街

Fhロイス博物館入口

林医院前で、駐車

後島の細い道を紫の看板伝いに

林酒造着物博物館3
現代の名工館

入って右最初の部屋

撒糊の技法を脇役から主役にした森口華弘氏、寡作で商社M→M百貨店の独占販売だったので、当時は極めて高価。撒糊だけでなく、友禅も見事です

黒地2枚はガラスはまっていません。建具屋の仕事が遅いので

小生は、英語の解説書いています。

そうそう

平田杜氏、広島県清酒品評会でまたまた、金賞。2連覇です。

彼は、広島酒造界のWOベントレー

華やかな香りと、しっかりとした味わい、しかも料理を引き立てる。それが三谷春です。

 

広島、呉のサグラダファミリア、ナゥ

1階昭和の車レンタル車庫、2階コテージ、新しいサッシはまりました。

林酒造着物博物館、現代名工館は?

やっと、建具屋が展示ケース作り終わり、ペンキ屋が塗っています。

母家に抜ける小部屋

壁紙張り替えました。消防署の指示で、鉄の防火扉付いています。今外してるけど

スプリンクラー!

そうそう、この、旧林医院→グループホーム→民泊予定→着物博物館と、用途変わりましたけど、スプリンクラーついています⁈ 500万位かかりました。

前にもお話しした通り

グループホームに、補助金付けるのでスプリンクラー付けるようにと国から→呉消防に相談→母家、酒蔵と繋がってるので全部につけろと→合計600坪で、3000万の見積→グループホームは移転→次また老人入れるなら、そこだけでもスプリンクラー付けろと、おまけに、母家との間の壁、廊下と居室の間、居室は3部屋毎に、屋根の際迄石膏ボード2重貼り、防火扉設置で、1年間の大工事。めちゃくちゃお金かかる。

担当者によって、ころころ言う事が違うのも、困ったものです。納税者は、右往左往します。

祖父が100年前に建てた、林医院発祥の地でなければ、ここまで、愛情を注ぎません。

と、これが1番サグラダファミリアだったかもしれません。

そうそう、

この間、音戸の施設に、検査に来た時
「着物博物館、オープンしましたね」
と、言われたので、次は、何を言って来ますかね???

ちなみに、ここ30年で、倉橋町室尾では3軒の火事があり、2人亡くなっています。いずれも、お年寄りの1人暮らしでした。

消防署予防課、何を予防するのでしょう????

 

広島、呉のサグラダファミリア、ナゥ

笹子コテージ4室追加状況ーバスユニット搬入。

軒天ラス板打ち

 

排煙窓枠

酒屋は?

新しい、火入れ槽来ました。この中で65度位の湯に浸けて、麹、酵母を不活性化します

-2〜-3度に冷やせる棚下冷蔵庫。この温度が一番、瓶詰後の酒の劣化が、少ない!

着物博物館③は?

試着室に、打掛並べました。しかし、重い!
200亀甲の結城紬は、雲みたいに軽いのに〜

てな調子で、サグラダファミリアは進んでいます

 

広島、呉のサグラダファミリア

床、コンパネ貼り終わり、これからフローリング材貼ります。

フォークリフトで、バスユニット上げる予定

林酒造着物博物館、建具仕事終わりました。ほぼ正式オープンです。

玄関入るとすぐ、夏帯コーナー

その裏、元手術室は、帯の部屋、真ん中にパリ万博で金賞を取った、山鹿清華の未仕立ての丸帯2本があります。国宝級です。

奥に行くと、廊下突き当たりは

龍村平蔵コーナー

手前から、

人間国宝森口華弘、もう2点増え計5点

羽田登喜男飛んでる鴛鴦と座っている鴛鴦、上野為二、未仕立ての木村雨山、いずれも人間国宝です。帯もあります。

由水十久、着物と帯4点ずつ、9人の童子が居るのもあります。昔の日本のメルヘンの世界。

久保田一竹振袖と訪問着、吉岡帝王紫訪問着と、色留。2000個の貝から1gしか取れない貝帝王紫の着物、それを証明する吉岡帝王紫と晃永衣装の落款あり。日本に。10点ありません。

皆川月華の部屋と、その奥の千總、染の北川の部屋

その外は

もう一つの龍村平蔵コーナー、2つのコーナーで30点近くあります

帯の部屋から左手に行くと、琉球紅型の部屋

人間国宝、芹沢銈介、鎌倉芳太郎、玉那覇有公。丁稚奉公に出される極貧生活→戦後の焼野原テント生活、米軍の廃品から道具作りから開始→紅型復活の父となった、城間家14代目、城間栄喜。また、熊本に疎開しているところを戦後2年後にわかり、栄喜に連れて帰られた息子の15代目、城間永順のもあります。

その奥は、

紬の部屋、幻の6色200亀甲の結城紬、夏結城、越後上布、宮古上布、いずれも重要無形文化財(人間国宝団体)、人間国宝、平良敏子の芭蕉布。
この部屋だけで、ロールスロイス新車2台分?

その左の部屋、

総刺繍の部屋、いずれも超一流の職人が10年近くかかったもの、人間国宝、福田喜重のもあります。

その右は

絞りの部屋、全て京都の職人が絹糸で7回半巻く、京鹿子本疋田です。

その右には

試着室。ご希望なら、左側ハンガーに打掛を並べて選んで着てもらい、頼家書に囲まれた30畳の座敷で、お茶会に参加してもらいます。外国人観光客に受ける事間違いなし?

その右は、

江戸時代初期の着物。宮崎友禅斎の掛軸2点と着物。それ以前の小袖と振袖。400年の歳月を感じない美しさ!

ホールには、

京都三条家の振袖

裏に装飾された家紋

大原麗子さんが、森進一氏との結婚式で着た、そのものです!

着物博物館③「現代の名工達」
を見終わると、ご希望の方には、

頼家書の前で、お茶をお出しします。

外国人団体様には

琴の生演奏を聴きながら♪

そうそう、2階男物の部屋を忘れていました!

皆川月華の部屋の左手の階段を登ると、

右手

紬の部屋、結城紬(160亀甲)、越後上布(後染)、宮古上布、暈け大島、薩摩紬、刺子。

総素描の長襦袢。親分趣味?

左手は、羽織の部屋、全部裏を表にしています

若紫、北条政子、弟橘姫、太夫、女暫、篤姫、舞妓、全て顔は嫁はん。祇園通い25年、実際もいつも嫁はん一緒です。背中にもいますけど、笑。

ヤマトミュージカアム→ロールスロイス博物館→島の酒屋+着物博物館、のゴールデンコース。
外国人にいっぱい来てもらい、呉が元気になる事を願います。

広島、呉でサグラダファミリア、ナゥ

着物博物館は、仮オープンとなりまし。その理由は?

建具屋が、遅い!

帯の展示ケースの、前面ガラスはめ、今やっと半分

帯の間は、完成。書籍も並べ終えました。

着物展示ケースの巾狭い方、建具屋作るの遅れたので、今日からやっとペンキ塗り開始

とりあえず、2週間仮オープンのままで、入館料は、半分の500円と、させて頂きます。

大工は?

笹子島、昭和の車車庫2階コテージ。ベランダ側サッシ枠はめ

排煙窓:床面積の1/50

床の根太、この上から白っぽいフローリング張ります。

いずれにしろ、サグラダファミリアです。

きもの博物館オープンしました

林酒造218回!目の、甑倒し。まず、バント演奏。50thの曲中心に

生憎の雨。社長登場。総刺繍の振袖に、舞妓仕様のだらり帯

横地市議来賓。右は校長の田川先生。元広島県議

日本語学校卒業式。23人卒業。12人進学、11人特定技能で、みんな日本に残ります。
若い労働力で、日本の労働力を補ってください

雨なので、能舞台でテープカット

お茶会の写真なし

着物博物館3、見学。これは帯の間

不完全ですけど、とりあえずオープン。サグラダファミリアですから。笑
建具屋が遅いので、大工、ペンキ屋は、大怒です。

この後懇親会。また写真あげます。

社長が、立席でお点前

琴の生演奏聴きながら

頼家書の間です。頼山陽の屏風と掛軸、頼春水の掛軸2本、頼聿庵の屏風2個、掛軸、三谷春の書2枚、坂井虎山の掛軸2本、展示中。広島の頼山陽博物館の分館の様です。

この後、パイレーツオブ笹子島で懇親会。1日かけてのおもてなしは、西洋式です。

この様子は、後日

着物博物館

林酒造

帯並べてみました

龍村平蔵、まだ半分

喜多川平郎

山鹿清華

桐タンスの引き出し。表面ガラス間に合わんかも?

サグラダ・ファミリアですから

着物博物館

真ん中に、山鹿清華お昼用のケース、周囲は仕立ててある帯

玄関口や、廊下の突き当たりにも帯の展示ケース

着物は、1点ずつこのケース
作家毎に、別の部屋

幅40センチ、両側から見れます

建具屋は、幅30センチのを製作中。これが遅れたいるので、ペンキ屋が、ヤキモキ 笑

何しろ、親と2人で何十年も、建具作ってたので、超マイペース。丁稚奉公は、2年だったそうです。
だから、根っから、サグラダ・ファミリア 笑 当社に入って10年。腕はいいけど、変わりません