投稿者「林英紀」のアーカイブ

パスタのご案内💫

今週のパスタ

アワビの入った、貝類主体のパスタ
もちろん、他の魚介類や、野菜も入っていますょ

 

コーニシュ物語⑪:フライイングレディ

 皆様こんにちは。

 サモトラケのニケ像をイメージしてできた、The rpirit of Ecstasy(フライイングレディ)は、モンタギュー卿と、クロードジョンソンとの話し合いで、1911年もしくは1912年にロールスロイスの正式マスコットになった。

 これはサイクスが一つ一つ自分で手作りしたものであるため、非常に高価で、全てのロールスロイス車についているわけではありませんでした。戦前のロールスロイスは、エンジン•シャシー•操作系機器などベアシャシーで走れるものを供給し、ボディは顧客の好みに応じてコーチビルダーが手作りしていましたので、このフライイングレディも、オプション設定でありました。実際日本の皇室が発注したシルバーゴースト3台にはついていなかったようです。

 高価なフライイングレディの代わりに、ラリックのマスコット等を付ける車もありました。

 フライイングレディの大きさも、初期のモデルの18cmから、現在の9cm迄、徐々に小さくなっています。

 また、ロールスロイスがアラブの王様に売れ出すと、肌が露出し薄着すぎるのと王様の前で立っている事がまずい、という事になりサイクスはひざまずいたニーリングレディをデザインしました。

 しかしこのニーリングレディも女性の地位向上につれて、廃止されることとなり、彼女は再び立ち上がります。

 サイクスは、娘のジョーを助手とし、このマスコットを28年間、一つ一つ手作りしていました。1944年、彼がこれを作れなくなると、ジョーはこのデザインの知的所有権をロールスロイス社に売り渡し、その後はクルー工事でロストワックス製法にて作られることになります。

コーニッシュ、シルバースパーなどのフライイングレディ:11cm

コーニッシュ5のフライイングレディ:9cm 手動でひっ込みます
小さくなって、寂しい

ニーリングレディ

ラリック等も、よく使われた

コーニシュ物語⑩:フライイングレディ〜アナザーストーリー〜

 皆様こんにちは。

 パルテノングリル上に鎮座する「フライイングレディ」とも呼ばれるThe spirit of Ecstasyのお話ですが、確立された歴史に一石を投じる記述が見つかったので、紹介させて頂きます。

 1902年ジョン•ダグラス•モンタギュー公は、自動車雑誌「CarⅠIIustrated」を発行します。その特別号の表紙を飾ったのが、早くから彼の才能を見出されていた、チャールズ•ロビンソン•サイクスでありました。

 モンタギュー卿所有1899年ダイムラー12HPのラジエター上には、サイクスのデザインした、旅行者の守護天使:聖クリストファーの、4インチサイズブロンズ像が取り付けられていました。この車は、宮殿の前庭に駐車する際、ウエストミンスター寺院の入口を横切るのを許された、初めての車でした。

 20世紀の最初の10年は、デザイン性がなく味気のない車ばかりで、それを区別するためにラジエターの上にマスコットが載せられていました。それらは、芸術性とは程遠く、中には警官やグロテスクな人物像などもありました。

 ロールスロイス社は、品のないマスコットが車を飾るのを腹立たしく思い、第3の男、クロード•ジョンソンは、顧客でもあったジョン•ダグラス•モンタギュー卿に相談します。

 モンタギュー卿は、それには本物の芸術作品が必要であると提唱し、相応しいものを制作できるのは、サイクスしかないと考えました。

 サイクスが1913年に新作したのは、横向きの体の着衣が風をうけてふくらみ、顔は正面を向いて人差し指を唇に押し付けている、「ウイスパー」と、呼ばれているものでした。真に音もなく走るシルバーゴーストにぴったりでした。

 モンタギュー卿の父の秘書エノレア•ヴェラスコ•ソーントン嬢は、サイクスにとって信頼のおける友人であり、彼女はサイクスが絵を描いたりブロンズ像を製作するのに、献身的に協力しました。従って「ウイスパー」のモデルは、ソーントン嬢と言って間違いないと思われます。

 しかし、現在のフライイングレディのモデルは、ソーントン嬢ではないと、チャールズ•ロビンソン•サイクスの娘で、長年彼の製作の手助けをしてきた、ジョー•サイクスさんが、1972年のインタビューで答えています。

 「全てのロールスロイスを飾るフィギュアとして、ミスソーントンは、あまりにも優美すぎる」というものです。

 さて、真のモデルは誰でしょう?

 上記は、現在のモンタギュー卿が、2018年12月に発表した談話をもとに、記述しました。

「ウィスパー」横から

「ウィスパー」前から

このアナザーストーリーを発表した、ジョン・モンタギュー・ダグラス・スコット(第7代バクルー公爵)

ルーチェロータリークーペ⑧

「短くも、美しく燃え」
の、ルーチェロータリークーペ
ラジエターを1から作って貰っています。

ラジエター待ちの空間

リーディング(黒)、トレーディング(青)のコイルとディストリビューター、高速回転するローターに合わせて僅かにズレて点火します。点火時期が極めて近いので、2セット要ります。

2ステージ、4バルブ(バルブないけど)の、キャブレター

様々な、工夫!
マツダの技術者達、苦労したでしょうね

限りなく、10000回転以上回ったエンジン‼︎

しかも、1回転で6回爆発!V 12気筒と同じ

 

コーニシュ物語⑨:エーゲ海クルーズ

 皆さんこんにちは、このコーニシュ物語⑤で記載させて頂いたように、筆者はアテネのパルテノン神殿の前で、衝撃をうけて、その後の医療介護施設を建てる時はパルテノンゲートを付けることにしています。

 アテネに滞在している時、観光船に乗り「エーゲ海クルーズ」にも行きました。季節が冬で曇っていたためか、海の色はコバルトブルーでなく少し暗いイメージでした。しばらくクルーズすると小さな島が見え、観光写真にあるように白い四角い家がピカソのキュービズムのように斜面の一部を覆い、天辺にパルテノン神殿同様の柱が何本か残っている遺跡がありました。

 もう40年も前のことなので、はっきりと覚えていませんが、そういう風景が何度か繰り返されたような気がします。「こんな小さな島まで立派な神殿があった」という印象が強く残っています。この事実は、パルテノン神殿の佇まいや、ロドスの巨像の話、サモトラケのニケ像の芸術性の高さ等共に、二千数百年前のギリシャをが、如何に繁栄していたかを物語るものであります。

 筆者の学生時代、中国地方には高速道路がなく、国道2号線を走って広島まで里帰りすると15〜16時間もかかってしまうので、大阪の南港からフェリーに乗っていました。朝起きて、最上階のデッキから見る瀬戸内海の島々は実に美しく、緑で覆われた島が次から次へと現れ、その一部に黒い屋根の家がひしめく様に立ち並んでいました。

 毎年始ニューヨークタイムズが選ぶ、「世界のこの年に訪れるべき場所」として、2019年「瀬戸内海の島々」が日本で唯一6番目に選ばれたのも、こういう風景のことであると思われます。さて、この瀬戸内海のこの風景に慣らされている筆者にとって、エーゲ海の木のほとんど生えていない島々の風景には少し違和感を覚えました。

 この話をもとの高校の担任で、世界史を教えていた先生にお話しすると、「文明は、そのピークを迎えた後、急速に衰退する。その原因の一つは、木を取りつくすことだ」と仰った。

 メソポタミア文明の栄える前、チグリス、ユーフラテス川に挟まれた地域は鬱蒼としたレバノンシーダ(杉)の森に覆われていたそうです。ギリシャやエーゲ海の国々においても、国力が増すと、家を建て、舟を建造し、武器を作ったりすることに大量の木材が消費されたはずです。森が消え森林の水を貯える機能も失われると、降った雨も地表からすぐに海に流れ込んでしまいます。その上この地方はもともと雨の少ない所であるので、いったん失われた森林の回復は難しくなります。クレタ文明も同様に衰退の道をたどっています。

ルーチェロータリークーペ⑦エンジン乗る

縦48cmの小ささ!
デムラーW6の半分?

カリスマ整備士のところには、面白い車が目白押し

ホンダ1300クーペ、水の代わりに空気を使った2重空冷、ホンダは、あくまで空冷にこだわった!

ガゼール?メルセデスSSKのレプリカ?エンジンはフォルクスワーゲンビートルなので、レストアは簡単。したがって前のフェンダー内は、がらんどう

 

イカール⑤美女と動物

皆様こんにちは、当館は、イカールのコレクションも日本でトップクラスですよ。

イカールは、犬、猫だけでなく、いろんな動物を美女の脇役で登場させています。

鹿

やはり鳥

籠に入った鳥

山羊

アヒル

象?

女性のチャーミングさが、際立ちます。

フィギュアの馬小さい!

あくまでも、女性が主役

 

ルーチェローターリー⑥エンジン組みあがり

日本で最も美しく、儚い車

エンジン組み上がりました。

1シリンダー、2プラグ、細長い燃焼室にこれで完全燃焼させる。

当館にある、ロールスロイスファントム3も、1シリンダー2プラグですけど、AとBの2系列があり、
A :温暖地用
B :寒冷地用
A+B :エンジンスタート、登坂用
昔は、寒冷なイギリスを出て、温暖なみなみフランへドライブ旅行していましたので。

これとは意味が違いますね

 

生ハム

当店の生ハムは、ベジョータ原木(どんぐり)を食べ、自由に歩き回って育った、純正のイベリコ豚を42カ月熟成させたもので、「生ハムのロールスロイス」と呼ばれています。
足1本8〜10kgで、30〜40万!

 

コーニシュ物語⑧:フライイングレディ(2)

 皆様こんにちは、

前回はニケの像の話から、それが置いてあるルーブル美術館の話に脱線しましたので、元に戻します。

 

 ニケは、ギリシャ語の日本語読みで、フランス語ではVictoire de Samothrace 英語ではWinged Victoryで、ニーケーとも呼ばれます。スポーツ用品メーカーのナイキは、この名を会社名として使用し、そのロゴマークはニケの背中に生えている羽をイメージして作られました。

 ニケは英語等の呼び名の通り勝利の女神で、ルーブル美術館ある像は、元は紀元前190年シリアとの戦いに勝利したロドス島の人々が、サモスラキ島にその気持ちと感謝の印として建てたものです。

 1863年フランス領事シャルル•シャンポアゾがその胴体を発見、続いて118片の断片も見つかり、復元されて1884年にルーブル美術館のダリューの階段に展示されました。背中に羽の生えた勝利の女神が、船の舳先に降り立った様を表現した、美しい白大理石の像で、動的な姿と、巧みな「ひだ」の表現でギリシャ彫刻の最高傑作の一つとされています。

 ロドス島と言えば世界7不思議の一つとされる「ロドス島の巨像」があった事でも有名です。これは鉄骨の骨組みの上に青銅で外装を仕上げたもので、高さ35m台座を含めると50mという、ニューヨークの自由の女神に匹敵する大きさあったそうですが、建立から58年後に地震により倒壊したという事です。前304年、マケドニア、アンティゴノスの攻撃に耐え抜き和平の後、敵の残していった大量の武器を元手に建造されたもの言われています。因みに奈良の大仏の高さは14.7mですが、一体の銅の鋳物で、この張りぼての巨像に負けてないと、日本人として筆者は思います。

 ロドス島は、ヨーロッパ、エジプト、トルコという、三大陸の交易の中心地として、この時代経済的にだけでなく文化的にも繁栄し、このような素晴らしい芸術作品が生まれたわけですけど、その代償として何度も他国からの侵略にさらされていたわけです。