カリスマ整備士はコストカット名人(天才?)
実は5年ほど前、コーニッシュ5の幌が途中で止まるようになりました。原因はシリンダーから出るチューブ付け根からのオイル漏れ…。
ということで、1本8万円の新品に換えました。
(全11本取り換えると、88万円‼︎)
…が、取り換えてもしばらくしてまた、止まるようになる始末…。さて、どうしたものか…?
ここで、カリスマ整備士の登場です。
みなさまも一緒にお考えください!
トランク

トランク内部

問題のチューブ

もう答えが写ってしまっていますが…
コーニッシュ5でレザートップ→キャンバストップになったことは前回お伝えしましたが…もう少し深く掘り下げてまいります!
コーニッシュ5の幌の構造は複雑で…
①幌の後ろが持ち上がる
②後ろの蓋が開く
③前のロック解除
④幌全体が収納される
⑤後ろの蓋が閉じてロックがかかる

幌が開くとスッキリ!ロードスターに!
…と、こういった具合で8個もの油圧シリンダーと長いチューブがあります。
当然のことながら、チューブなどが経年劣化すると大変です。
長く乗るなら構造が単純な、コーニッシュ4迄のタイプですね。
コーニッシュ4、(ベントレー・ロバートジャンケルもそうですけど)になると、ロックが自動となります。
とはいいつつも、コーニッシュは20世紀後半、最高の名車です!
その所以を写真付きでご堪能ください!

今回のテーマの主役、コーニッシュ5。
ベントレー・アズールと同じものです。個人的にはレザートップのほうが高級感があるように思います。


コーニッシュ2 メタリックピンク
博物館オープンの前日に納車され、乗り回し…最高‼︎

この車、30年間故障なし‼︎
コーニッシュ1〜4までの堀カバーつきのスタイルもオシャレです。

↑ベントレーターボRドロップヘッド・ロバートジャンケル
↓シルバースパーストレッチリムジン・ロバートジャンケル(ドロップヘッドではありませんけど)

今回はここまで。いかがでしたか?
まだまだ魅力はつきませんが…また次回とさせていただきます!
最後のロールスロイスエンジンを積んだ車、コーニッシュ5は、クルー工場で手組みされ、2000年から3年間、374台しか作られていません。
当時の日本は、バブル崩壊後であり、税込で5000万以上のこの車が国内へ輸入されたのはたったの8台。
そんな中「ロールスロイスは、1億かけて作られた車を、5000万で売っている」とも言われ、コーニッシュはシーラカンスのような存在であったのです。
実は、資本家のチャールズ・ロールスは、1910年に英国人最初の飛行機事故死します。
ヘンリー・ロイスも1915年に大病(大腸癌?)で、現場に出られなくなり、夏は南イングランド、冬は南フランスで静養生活をしながら、設計に携わります。
時は、生産効率が会社の存続を問う時代。量産高級車の王者、メルセデスベンツも1990年あたりから、コストダウンに手を染め出していました。
さすがのロールスロイス社も、プライドを捨てて世に倣い、コストダウンにかかり始めた片鱗が…


①精緻に加工されたステンレス製のパルテノングリル→鉄板プレスに
②フライングレディが11cm→9cmに

③自社製ビニールレザーの屋根→キャンバス(ピニンファリーナ製)

④給油口がトランク上に…(少し作りがチャチい)
しかし!この車が凄いのは、そのボディの作り‼︎
同時期に発売された、12気筒BMWエンジンを積んだ、シルバーセラフより1回り大きく、同じエンジンの、ベントレー・アズールとも違う‼︎
つまり、ロールスロイス社は、たった
374台のために、別設計してるわけです。
大人しく走るロールス用に、アズールに比べ、エンジンをデチューンしているとか。
ロールスロイス社が凄いのは、ロイス氏が直接職人達を指揮したのが、10年余りだったのにもかかわらず、その精神は100年以上引き継がれ、今なお世界最高のジェットエンジンを生産している事にあります。
さて…西日本では、この1台と言われているコーニッシュ5。今は社長の足になっているので、当館に飾られるのは、当分先になりそうです…お楽しみに‼︎
日本で最も美しく、儚い車
エンジンかかりました‼︎
このエンジン、50年の眠りから、覚めた訳です。
皆様こんにちは、9/30迄、休業中です。
1階のFhロイス博物館は、博物館と言う名前のついたカフェです。
本年12月より、タッチパネルと給仕ロボットを導入予定です。これには、広島観光連盟、デジタル化推進事業の補助金が頂ける事になっています
本日は、タッチパネル用、料理の写真を撮りました





24種類のハーブのみから作ったカレー上から、チキンカツ、イベリコ豚カツ、野菜、シーフード、ビフカツカレー

私が一口味見したあと、広島のギャル曽根が全部食べてくれます









パスタ8種と、ピザ4種もペロリ
胃縮小手術を受けた方がいいかも?
コーニッシュ5は、社がBMW社に身売りされる前の、聖地「クルー工場」で、ロールスロイスエンジン製を積み生産された、最後のロールスロイスです。
コーニッシュ4迄は、60年代と全く同じハンドメイドで作られていました。
クルー工場では、コーニッシュの注文が入ると、ビス部門でその車にのためのビスが作られ始めます。
ビスに関して言えば、ロールスロイス社は、創業時に他社に注文したビスが粗末だったため、自社で全て作ることにしました。
Fhロイスさんは、このビスを作らせても、ごく初期からの熟練職人、ホールデンバイや、プラットフォードより、正確に加工したそうです。また、加工された部品一点一点を、拡大鏡で見て、少しでも傷がある物を見つけると、それを作った職人を首にしたそうです。
さて、このクルー工場には、ビスから始まり、アルミを叩いて加工する職人、ウォールナットをスライスして形にする職人、コノリーレザーを裁断縫製する職人など、あらゆる熟練職人がいたそうです。
車生産は、もうロボットの時代です。コーニッシュ4が生産終える頃は、もうコーチビルドが生き残れる時代では、ありません。ですから、コーニッシュ5の生産を始める2000年には、マリナーパークワード専用工場、ウイルステン工場はすでに無く、この熟練職人たちは、ロールスロイス・クルー工場内で働いていま。
さて、コーニッシュ5のお話は、次回にさせていただきます。


コーニッシュの生産は、1967年シルバーシャドウ・ドロップヘッドクーペから、1995年コーニッシュ4まで、28年間続きました。この間、アイアンバンパーが、ウレタンバンパーに変わった位で、外観の変更はありませんでした。
同じ形が変わらなかった事に関しては、モーガンに次ぐものです。
ポルシェ911も、1967年から、ヘッドライトが寝てくる1996年までほぼ同じですが、ワイドになるなどボディの変化があります。

1965年、シルバークラウドから、サーフラインが消えて、シルバーシャドウとして新型が発売されました。
これは4ドアセダンだけだったので、同じ車台、同じエンジンを搭載した2ドアの車の期待も高まりました。
そこで、マリナーパークワードに次ぐコーチビルダーである、ジェームズヤングが、シルバーシャドウ・ジェームズヤングクーペを1967年に売り出す。
クラウド時代迄は、トラックのような堅牢なシャーシの上に、自社のボディを乗せればよかったが、シルバーシャドウからはモノコックボディになったため、2ドアにするのは大変で、極めて高価なモデルになってしまいました。
結果、35台しか売れず、当館にあるシルバークラウドツーリングリムジン100、ファンタム5に代表される、深く大きいサーフラインを持つ美しい車を造った、ジェームズヤングにとって、不名誉な失敗モデルになってしまいました。
一方、マリナーパークワードが発売した2ドアモデルは好評で、クーペタイプが568台、オープンモデルが505台売れたそうです。これらに名付けられたのが、シルバーシャドウ・クーペと、ドロップヘッドクーペだったそうです。
これらの情報は、世界トップクラスのロールスロイス車販売会社で、研究者でもある、シーザートレーディング社長、宮本氏に教えていただきました。
ありがとうございました。
コーニッシュの写真に、コーニッシュクーペと、オープンモデルが載っているのは、本のミス?
いや、そうではありません。
1934年に、ロールスロイス社がベントレー社を買収してから、両車の車台とエンジンは共通となりました。
それから、一般にロールスロイスは、ショーファームドリーブンつまり後席に乗る車。ベントレーは、オーナードライバー用の車と、言われて来ました。
しかし、10年に渡り世界一の名を欲しいままにした、シルバーゴースト以来、ロールスロイスの象徴である精緻に加工された、燦然と輝くパルテノンゲートと、その上の美しいフライングレディ。この車を、隣に愛する妻か恋人を載せ、楽しくドライブしたり、パーティ会場に乗り付けたりしたいオーナーのために、2ドアクーペや、オープンモデルが、シルバーゴーストの時代から多く作られていました。


シルバーゴースト

ファンタム1

ファンタム2

ファンタム2(アメリカ、ブリュースターコーチビルド)

ファンタム3

シルバーレイス

コーチビルドの芸術品のシルバーレイス(フーパーコーチビルド)

クラウド1

クラウド3 チャイニーズアイ(パークワードコーチビルド)

クラウド3(HJマリナーコーチビルド:パークワードと合併前)
これらの、ロールスロイス専門、最高のコーチビルド物は、5000万以上出さないと買えません。高値の花です。
車好きの皆様こんにちは
ロールスロイス コーニッシュの最初のモデルは、1965年にシルバーシャドウが発売され、1971年にコーニッシュクーペとオープンモデルが発売。
と、ウィキペディアには、記載されています。
1977年、アイアンバンパーがウレタンとなり、1982年には、オープンモデルのみとなります。
生産台数は、
コーニッシュ1:1000台余り、うち328台が、ウレタンバンパー
コーニッシュ2:1226台
コーニッシュ3:451台
コーニッシュ4:194台
となっています。当館にあるゴールドのモデルは、コーニッシュ1クーペ、白とピンクのはコーニッシュ2です。
特に、純正色ピンクメタリックのモデルは、世界で 19台、日本で1台しかも最後の1台です。


しかし、シルバーシャドウの名のもとに、コーニッシュクーペとオープンモデルが載っている本もあります。
この謎は、明日記載します
