投稿者「林英紀」のアーカイブ

コーニッシュ5 ②

最後のロールスロイスエンジンを積んだ車、コーニッシュ5は、クルー工場で手組みされ、2000年から3年間、374台しか作られていません。

当時の日本は、バブル崩壊後であり、税込で5000万以上のこの車が国内へ輸入されたのはたったの8台。

そんな中「ロールスロイスは、1億かけて作られた車を、5000万で売っている」とも言われ、コーニッシュはシーラカンスのような存在であったのです。 

実は、資本家のチャールズ・ロールスは、1910年に英国人最初の飛行機事故死します。
ヘンリー・ロイスも1915年に大病(大腸癌?)で、現場に出られなくなり、夏は南イングランド、冬は南フランスで静養生活をしながら、設計に携わります。

 

時は、生産効率が会社の存続を問う時代。量産高級車の王者、メルセデスベンツも1990年あたりから、コストダウンに手を染め出していました。

さすがのロールスロイス社も、プライドを捨てて世に倣い、コストダウンにかかり始めた片鱗が…

 

①精緻に加工されたステンレス製のパルテノングリル→鉄板プレスに

②フライングレディが11cm→9cmに

 

 

③自社製ビニールレザーの屋根→キャンバス(ピニンファリーナ製)

 

④給油口がトランク上に…(少し作りがチャチい)

しかし!この車が凄いのは、そのボディの作り‼︎

同時期に発売された、12気筒BMWエンジンを積んだ、シルバーセラフより1回り大きく、同じエンジンの、ベントレー・アズールとも違う‼︎

つまり、ロールスロイス社は、たった
374台のために、別設計してるわけです。

大人しく走るロールス用に、アズールに比べ、エンジンをデチューンしているとか。

ロールスロイス社が凄いのは、ロイス氏が直接職人達を指揮したのが、10年余りだったのにもかかわらず、その精神は100年以上引き継がれ、今なお世界最高のジェットエンジンを生産している事にあります。

 

さて…西日本では、この1台と言われているコーニッシュ5。今は社長の足になっているので、当館に飾られるのは、当分先になりそうです…お楽しみに‼︎

今日は、写真撮影

皆様こんにちは、9/30迄、休業中です。

1階のFhロイス博物館は、博物館と言う名前のついたカフェです。
 本年12月より、タッチパネルと給仕ロボットを導入予定です。これには、広島観光連盟、デジタル化推進事業の補助金が頂ける事になっています

本日は、タッチパネル用、料理の写真を撮りました


24種類のハーブのみから作ったカレー上から、チキンカツ、イベリコ豚カツ、野菜、シーフード、ビフカツカレー

私が一口味見したあと、広島のギャル曽根が全部食べてくれます


パスタ8種と、ピザ4種もペロリ

胃縮小手術を受けた方がいいかも?

ニューコーニッシュ(コーニッシュ5)

コーニッシュ5は、社がBMW社に身売りされる前の、聖地「クルー工場」で、ロールスロイスエンジン製を積み生産された、最後のロールスロイスです。

コーニッシュ4迄は、60年代と全く同じハンドメイドで作られていました。
クルー工場では、コーニッシュの注文が入ると、ビス部門でその車にのためのビスが作られ始めます。

ビスに関して言えば、ロールスロイス社は、創業時に他社に注文したビスが粗末だったため、自社で全て作ることにしました。 

Fhロイスさんは、このビスを作らせても、ごく初期からの熟練職人、ホールデンバイや、プラットフォードより、正確に加工したそうです。また、加工された部品一点一点を、拡大鏡で見て、少しでも傷がある物を見つけると、それを作った職人を首にしたそうです。

さて、このクルー工場には、ビスから始まり、アルミを叩いて加工する職人、ウォールナットをスライスして形にする職人、コノリーレザーを裁断縫製する職人など、あらゆる熟練職人がいたそうです。 

車生産は、もうロボットの時代です。コーニッシュ4が生産終える頃は、もうコーチビルドが生き残れる時代では、ありません。ですから、コーニッシュ5の生産を始める2000年には、マリナーパークワード専用工場、ウイルステン工場はすでに無く、この熟練職人たちは、ロールスロイス・クルー工場内で働いていま。

さて、コーニッシュ5のお話は、次回にさせていただきます。

コーニッシュ物語15:ニューコーニッシュ

コーニッシュの生産は、1967年シルバーシャドウ・ドロップヘッドクーペから、1995年コーニッシュ4まで、28年間続きました。この間、アイアンバンパーが、ウレタンバンパーに変わった位で、外観の変更はありませんでした。

同じ形が変わらなかった事に関しては、モーガンに次ぐものです。
ポルシェ911も、1967年から、ヘッドライトが寝てくる1996年までほぼ同じですが、ワイドになるなどボディの変化があります。

コーニッシュ14続き

1965年、シルバークラウドから、サーフラインが消えて、シルバーシャドウとして新型が発売されました。

これは4ドアセダンだけだったので、同じ車台、同じエンジンを搭載した2ドアの車の期待も高まりました。

そこで、マリナーパークワードに次ぐコーチビルダーである、ジェームズヤングが、シルバーシャドウ・ジェームズヤングクーペを1967年に売り出す。
クラウド時代迄は、トラックのような堅牢なシャーシの上に、自社のボディを乗せればよかったが、シルバーシャドウからはモノコックボディになったため、2ドアにするのは大変で、極めて高価なモデルになってしまいました。
 結果、35台しか売れず、当館にあるシルバークラウドツーリングリムジン100、ファンタム5に代表される、深く大きいサーフラインを持つ美しい車を造った、ジェームズヤングにとって、不名誉な失敗モデルになってしまいました。

一方、マリナーパークワードが発売した2ドアモデルは好評で、クーペタイプが568台、オープンモデルが505台売れたそうです。これらに名付けられたのが、シルバーシャドウ・クーペと、ドロップヘッドクーペだったそうです。

これらの情報は、世界トップクラスのロールスロイス車販売会社で、研究者でもある、シーザートレーディング社長、宮本氏に教えていただきました。
ありがとうございました。

コーニッシュ14

コーニッシュの写真に、コーニッシュクーペと、オープンモデルが載っているのは、本のミス?

いや、そうではありません。

1934年に、ロールスロイス社がベントレー社を買収してから、両車の車台とエンジンは共通となりました。

それから、一般にロールスロイスは、ショーファームドリーブンつまり後席に乗る車。ベントレーは、オーナードライバー用の車と、言われて来ました。

しかし、10年に渡り世界一の名を欲しいままにした、シルバーゴースト以来、ロールスロイスの象徴である精緻に加工された、燦然と輝くパルテノンゲートと、その上の美しいフライングレディ。この車を、隣に愛する妻か恋人を載せ、楽しくドライブしたり、パーティ会場に乗り付けたりしたいオーナーのために、2ドアクーペや、オープンモデルが、シルバーゴーストの時代から多く作られていました。


シルバーゴースト

ファンタム1

ファンタム2

ファンタム2(アメリカ、ブリュースターコーチビルド)

ファンタム3

シルバーレイス

コーチビルドの芸術品のシルバーレイス(フーパーコーチビルド)

クラウド1

クラウド3 チャイニーズアイ(パークワードコーチビルド)

クラウド3(HJマリナーコーチビルド:パークワードと合併前)

これらの、ロールスロイス専門、最高のコーチビルド物は、5000万以上出さないと買えません。高値の花です。

コーニッシュ物語13

車好きの皆様こんにちは

ロールスロイス コーニッシュの最初のモデルは、1965年にシルバーシャドウが発売され、1971年にコーニッシュクーペとオープンモデルが発売。
と、ウィキペディアには、記載されています。
1977年、アイアンバンパーがウレタンとなり、1982年には、オープンモデルのみとなります。

生産台数は、 
コーニッシュ1:1000台余り、うち328台が、ウレタンバンパー
コーニッシュ2:1226台
コーニッシュ3:451台
コーニッシュ4:194台

となっています。当館にあるゴールドのモデルは、コーニッシュ1クーペ、白とピンクのはコーニッシュ2です。

特に、純正色ピンクメタリックのモデルは、世界で 19台、日本で1台しかも最後の1台です。


しかし、シルバーシャドウの名のもとに、コーニッシュクーペとオープンモデルが載っている本もあります。
この謎は、明日記載します

後日談

本田宗一郎さんは、これで「当社の車は、爆発的に売れる」と、喜んだそうですが、開発陣は「我々は、世の中をきれいにする為に頑張りました」と、言ったそうです

昨日の続き


皆様こんにちは
オートチョークが故障して、なかなかエンジンがかからなくなった、スパー II マリナーパークワード

普通にセル回してかけると、10秒回して→少し休むを繰り返す事、ひどい時は20回して、やっとかかっていました。

カリスマ整備士のアドバイス通り

1回セル回す→2〜3回イグニッションオン、オフ繰り返す→セル回す

で何とかかかるようになりました。走り出す前に、少しウオームアップが必要ですけど

普通の車には、全てオートチョークが付いていて、エンジン始動する時には、吸入気を少なくして、つまりガソリンとの混合気を濃くして、プラグからの火花に点火しやすくしています。

チョーク無しだと薄い混合気のままで、なかなか点火しません。タンクからガソリンをエンジンに供給する為には、ガソリンポンプが付いていますが、これはイグニッションをオンにすると、すぐ回り始めます。つまり、オンオフを繰り返す事により、ガソリンが少し送り込まれるので、空気の量が多くても、濃い混合気が生まれる訳です
この話から、連想させるのは、1970代初め世界一厳しい排ガス規制を、1番にクリアーして、世界を驚かせたホンダのCVCCエンジンですね。

排ガス中の有害物質を減らすには、ガソリンを薄くするのが1番ですけど、薄くすると火がつきにくい。そこで、混合気を濃くする副燃焼室をつくり、そこに点火して主燃焼室の希薄な混合気も点火できるようにした訳です。

当社所有で、1978年式ベンツ450SLC、1991年式500SLがありますが、これにはエアーポンプが付いています。

このエアーポンプは、排気管に新鮮な空気を送り込むためのものです。

つまり、排ガスの中の有害物質のパーセンテージは、マスキー法をクリアーしていますけど、量は変わらない訳です。

やはりホンダは凄い‼︎