投稿者「林英紀」のアーカイブ

紫帝王④

吉岡常雄氏は、京都で3代続いた染屋の次男、兄は日本画家の吉岡堅ニ氏。群馬大学染色学科卒業。戦後より染色家となり、当初はモダンアート②傾倒するが、昭和41年、51才から貝紫に関心を持つ。
 まず奄美大島のアクキ貝科ノヒロクチイガレイシから、貝紫の再現に成功。
 昭和43年、ナポリ湾の貝から貝紫の再現に成功。
 レバノン、昔はフェニキアで、アクキ貝科の貝塚発見。
 メキシコ、ペルーでもその存在を確認。
 染色家としては、徹底して天然染料を採用し、正倉院、東大寺、薬師寺の古裂を再現。祇園祭り山鉾の布、辻が花染の再現も行う。
 最後は、大阪芸術大学名誉教授として、生涯を閉じる。

 この吉岡常雄氏が、自ら三重県から取り寄せた、イボニシ貝のパープル腺から取り出した液のみで染めた、帝王紫の帯が、当時極めて高価であったのは、理解出来る。

しかし、帝王紫が話題となり、人気が出るに従い偽物も多く出る

新技術とこの記述にあるように、もう化学的に、合成されている

これは、吉岡常雄氏が、40年前、貝のみで染めた、本物の帝王紫です。天然染料にしては、澄んだ色です。
 
化学染料に比べて天然染料は、色がくすんでいるのが当たり前ですが、吉岡常雄氏、息子の5代目幸雄氏とも、鮮やかな天然染料を生み出す努力を怠多らなかった人達です。
 それにいくらコストが、かかっても

帝王紫(貝紫)③

吉岡常雄氏、この本の中に書いています

貝紫を染料に使ったのは、地中海、メキシコ、ペルー、日本

地中海のアッキガイ科の貝

遺跡からも、多数出土

これが、パープル腺。これ2000個で、染料1グラム!

この液で染めて、紫外線に当てると、赤みがかった綺麗な紫色になる

しっかり乾燥させないと、異臭が残る。2000年前のフェニキアのある町は、異臭が充満していたそうです。

その後、帝王紫の帯の異臭騒ぎが起きたのは、乾燥が不十分だったと、考えられます。

人気で、需要に供給が追いつかなかったのかも?

かくして、天然染料に生涯をかけた、染司4代目吉岡常雄氏は1988年8月、心不全で亡くなる。72才。

5代目、吉岡幸雄氏の話は、次回

帝王紫ストーリー続き

社長も、帝王紫の帯を持っています。

Jの落款入り

社長の母上が、40年前「最高級の帯」と言われ、娘の嫁入り衣装のうちの一つとして、買い求めたもので、その店の帯の中で、1番高価だったそうです。

異臭は、しませんが、これぞ染司よしおか4代目、吉岡常雄氏が三重県から取り寄せた、イボニシ貝のパープル腺から取れる染料だけを使った「帝王紫」あるいは「貝紫」。吉岡常雄氏、はあくまでも、天然染料にこだわった人です。

現在「帝王紫」と名打って、大量の帯が安く販売されていますが、100%貝から取れた染料からだけで作られたとは、思えません。

100%貝紫なら、あんな安く売り出せる訳が、ありません。

イベリコ豚しかりです。100%どんぐりだけ食べて育ったイベリコ豚はまれで、その肉は、極めて高価。1匹のイベリコ豚を育てる為には、2〜3ヘクタールのどんぐり畑が、必要です。

今の、着物業界は、商標が乱れています。中国で作らせた友禅染を「京友禅」として、売っています。

これからオープンする着物博物館は、本物だけを展示します

2000個の貝から、1gしか取れない帝王紫、表現の仕様のない色目です。

広島、呉のサクラダファミリア

大工は、北南酒蔵つなぎ部分の、漆喰下地作り。白い防水シートの上には、手作業焼杉を打ちます。

建具屋は

その、北南酒蔵つなぎ部分の、お客様休憩室のトイレドア作り

これは表

親の代から、腕のいい建具屋、いかんせん仕事が丁寧過ぎで遅い

昔のに似せて、北酒蔵仕切り壁の戸を作るよう指示したら

こんな図面を作りました。彼は、親の代から、シナベニアに鉛筆で、図面引きます。
超!アナログ人間! 息子2人は、余り売れていない、お笑い芸人! 親の彼の方が、味があって面白い!

ちなみ、酒蔵の窓の戸、戦時中に墨を塗ったまま、外壁はその上から、白ペンキ塗っています。

大きな、白壁の建物は、爆撃機の目標になったらしい

ところで、着物博物館⑨ 帝王紫続き

紀元前、フェニキアの特産品で極めて高価、シーザーのガウンになったりしたので、この名前。クレオパトラの船の旗にも使われた。地中海、アッキガイ科の巻貝の、パープル腺から取れる黄色い液体で生地を染め、紫外線に当てると、赤みがかった紫色になる。

1グラムの染料を取るのに、2000個の貝が、必要!

これに魅せられて、世界38カ国を訪問して、その研究に没頭したのが、染司4代目、吉岡常雄氏。

日本では、三重県のイボニシ貝のパープル腺から、この染料が取れる事を発見し、J織物と共同して「帝王紫の帯」を製作。T百貨店から売り出し、結構売れた。

しかし、この貝紫には、独特の異臭があり、100%この臭いを解消する事が難しく。帯を買った人から、
「タンスの中に変な匂いがする」
と言う、指摘が相次ぎ、T百貨店も販売を、やめてしまった。

ペルーの海岸で、チャンケという貝から取った液体で布を染め、紫外線に当てて紫色に変色することを現地人に示す、吉岡常雄氏

しかし、帝王紫に一生を捧げた吉岡常雄は、1988年、72才でお亡くなりになる。

この続きは、次回

 

広島、呉のサクラダファミリア、ナウ

北酒蔵、下は焼杉、南酒蔵、下はナマコ。どちらにしょうか?迷いましたが、面になっている、北酒蔵に合わせます

昔の意匠に合わせるためには、厚めの杉板を、バーナーで焼かなくては、なりません。

着物博物館⑨
帝王紫(貝紫)!

しかも!

この落款があるのは、本物中の本物!
「幻の貝紫」を使った、京友禅!
日本、もちろん世界に、10点もちろんありません!

この、帝王紫と言われる、紫の染料の話は、ロングストーリーとなるので、次回〜

 

夏休み!

お客様は、プライベートビーチと、テラスでのバーベキューを、堪能

広島、呉のサクラダファミリアは?

明治、大正の花嫁衣装博物館、木谷舘、見学者休憩室兼トイレ、石膏ボード貼り終わり。この上から漆喰塗ります。

現代着物博物館の方は?

内外装は、1年前に完成。後着物展示ケースの仕上げだけですけど、今は、コロナ隔離施設になっています。

岸田総理!コロナを5類にして、経済を回すのもいいですけど、医療、介護事業者の苦労も、わかってくださいʅ(◞‿◟)ʃ

広島、呉のサクラダファミリア、今日

北酒蔵の、酒造

北酒蔵の酒造部と、博物館の仕切り壁。石膏ボード貼ります

その、酒造部。杜氏が、三谷春梅酒、「潤」プレミアムの、火入れ(63〜65度のお湯に浸けて、火落菌の殺菌)を、しています。

販売部では、三谷春純米酒のラベル貼り。全て、1本1本手作業!

ここも、サクラダファミリアです

今日の、広島、呉のサクラダ

北蔵内部の仕切り壁、真壁にしました。

この蔵、昭和11年築。白壁に墨を塗って戦禍を逃れました。

美しい海鼠壁の着物博物館の外観。
大正12年建築、旧林医院。祖父は此処で、実に63年間!地域医療に携わりました。「仏の老医師」と、新聞一面に載った事からあります。
何度も改装して、この外観。しかし、駆体と屋根は昔のままです。

今、コロナ病棟になっているので、今日は入れません。

 

広島、呉のサクラダファミリア、ナゥ

林酒造、北南蔵間、石膏ボード貼り終わり、トイレ室もできました。

北蔵、壁を新設して、博物館部と、酒造部を分けます

着物博物館、展示着物⑧

結城紬!

200亀甲〔30cm巾に、亀の甲模様か200入る)

しかも、6色

15年程前、京都四条河原町、有名呉服店で、2色、180亀甲の結城紬が、2700万で、売っていました。

結城紬は、糸取り職人、それを括って染める職人、それをいざり機で織る職人の、総合芸術。

この着物の場合、その道20年以上の職人か、 
 糸取り4年
 括り染め4年
 機織4年
かかったそうです。
一流の職人の手間賃は、最低でも年500万。しかもここまで薄い生地、6色使った正確な模様、いくらかかったのでしょう?

1億と言われても、納得です。

絹と、染料だけが、原材料!
世界一高価な服かもしれません

結城紬は、洗い張りする度に、風合いか良くなり、着心地は良くなるそうです。しかも、
親子5代、150年着れるそうです。

蚕の絹を、1本1本、手で繋ぎながら、手で捻を入れながら、紡ぐ。天然染料で、何度も染める、から150年色と、強さが保てるわけです。

前回ご紹介した、400年前に作られたこの着物。昨日出来上がったような色と、生地!
やはり、日本文化は凄いですね

親子3代100年、150万キロ使える車を作った、FHロイス氏に、通じるものがありますね

今日の広島、呉のサクラダファミリア

北、南酒蔵つなぎの部分、内部石膏ボード貼り

ペンキ屋は、着物展示ケース、下塗り終わり

着物博物館展示⑦

友禅染めの始祖、宮崎友禅斎!

1654年生まれ

これより細い線が描ける作家は、現代でもいない。
由水十久氏でも、この細さは無理

元々は、扇子絵師。その才能通り技術を買われて、掛軸、着物の製作を依頼されるようになる

友禅斎の掛軸、蓬莱山

明瞭な輪郭に、細い線

中国故事の掛軸

細かな描写

それより少し前の時代の、打掛。
徳川家のお姫様が着る予定だったものが、彼女が亡くなったため、そのまま400年桐箱の中で、眠っていたもの!

昨日出来上がったと、思われるような美しさ!

絹糸を、1本1本、手で丁寧に捻りを入れながら紡ぐ。これは機械では出来ない。だから、薄くて強い生地か出来て、400年劣化することがない。

友禅染の技術かないので、輪郭線がない。というか、輪郭か明瞭でない

手の細かい刺繍

濃い線に、僅かに滲みがあり、波打っている所かある

友禅斎の掛軸、周りの部分も、自身で、友禅染

400年前の着物、展示するか?
このまま箱の中で、光を当てずに保管するか?

思案ながらです

そういえば、これらの花嫁衣装も、150年近く、タンスの奥で眠っていたもの。見学者が来られた時だけ、電気を点けます。