投稿者「林英紀」のアーカイブ

北、南酒蔵間の部屋

上の部分、これから、ラス→モルタル→漆喰仕上げ

そのあと、焼杉下に貼ります。それはまだ先

帝王紫⑥
吉岡帝王紫

日本で唯一、ロールスロイス社から認定書を貰った綿引自動車。ロールス、ベントレーの全塗装に1年間かかりました。
 チリ1つない部屋で、塗装→自然乾燥2〜3カ月→バフかけ、この工程を5〜6回繰り返す。
 漆塗りも、同じようなものです。

だから、1つの着物作るのに、普通の10倍くらい、時間がかかりました。

この色留で、6年。

最高峰、2000万以上で売られたこの訪問着で、10年以上。

バブル当時、1千万以下の着物は作らないと言われた、京都晃永衣装。帝王紫染料を、後にもまったく匂わないように、自然乾燥させるので、1着最低5年はかかっていました。
 だからこの、吉岡幸雄-京都晃永作の着物は、10着もありません。
 おまけに、天然染料で美しく染める事に半生をかけ、数々の賞に輝いた、吉岡幸雄氏も2019年に他界します。

これは、吉岡家が残した、最高の作品と言っても、過言ではありません。

帝王紫⑤

吉岡常雄氏が三重県から取り寄せた、イボニシ貝のパープル腺から取り出して染めた帝王紫。
京都のJ織元が、T百貨店の上品(じょうもん)会と言う展示会で、当初は数百万の値段をつけて売り出す。これが話題となり、多くの注文がはいり、吉岡常雄氏は、大型冷凍庫を購入して、これに応えるようにする。中には糸染めて帯にするだけでなく、着物への絵の注文も入る。
 しかし、この多く作り出した帯や、素描の着物の中には、「タンスに入れておくと、変な匂いがする」と言うクレームがつくものが、出てくる。
 そして、T百貨店はJの帝王紫帯の販売を中止、吉岡常雄氏も亡くなる。

 その後を継いだのが、染司5代目、吉岡幸雄氏。幸雄氏は、当社染屋を継ぐのが嫌で、1971年早稲田大学文学部に、入学。次男さんが、5代目を継ぐことになっていた。

常雄氏初期の帝王紫

吉岡幸雄氏は、常雄氏の紹介である会社に入るが、勤人生活が合わず、自分で美術図書専門の出版社:紫紅社を1973に設立、成功を収める。
 しかし、染屋を継ぐ予定の次男氏から、「僕はこの仕事に合わないので、兄貴に返す」といわれ、1988年に染司5代目当主を継ぐ。91年に着物文化賞受賞、その後、薬師寺、東大寺の技楽装束を、完全に天然染料を使って製作。
 染司よしおかは、代々天然染料を使い、化学染料にも劣らぬ鮮やかさを作り出す染屋であった。しかし常雄氏の帝王紫は話題を呼び、貝から取り出した染料のみを使ったのではない、帝王紫が巷に出始め、J織物もその波に呑まれてしまう。
 そこで、吉岡幸雄氏は、J織物と袂を別れ、当時京都で最高級の着物だけを作っていた、晃永衣装と独占提携し、染料を納める。

それが、これ

この訪問着、製作に10年の歳月がかかっている。

帝王紫に染めた糸と、友禅染。

ぼかし染

染め、手の込んだ刺繍

晃永衣装は、吉岡幸雄氏から、パープル腺から抽出した液を、直接購入。糸を染めたり、友禅の色挿しに使ったり、刷毛染めしたり、薄くして桶染に使ったりした。

これは、別の色留。生地全体を薄めた貝紫の桶に浸けて染めている。

素晴らしい金駒刺繍で囲まれ、染まってない部分と、染めた糸の刺繍

とにかく、年月をかけて、ゆっくり自然乾燥させることか、後に匂わない秘訣。

従ってこの、吉岡帝王紫と晃永衣装の落款の入った着物は、世に10点もない。

先の訪問着は、その最高峰。
刺繍も、最高の職人が手がけている。

超貴重品

2000年の歴史ある貝紫。ひたすら、しっかり乾燥させて次の工程にはいり、10年越しで作られたと思うと、一見の価値がますます湧きます。

紫帝王④

吉岡常雄氏は、京都で3代続いた染屋の次男、兄は日本画家の吉岡堅ニ氏。群馬大学染色学科卒業。戦後より染色家となり、当初はモダンアート②傾倒するが、昭和41年、51才から貝紫に関心を持つ。
 まず奄美大島のアクキ貝科ノヒロクチイガレイシから、貝紫の再現に成功。
 昭和43年、ナポリ湾の貝から貝紫の再現に成功。
 レバノン、昔はフェニキアで、アクキ貝科の貝塚発見。
 メキシコ、ペルーでもその存在を確認。
 染色家としては、徹底して天然染料を採用し、正倉院、東大寺、薬師寺の古裂を再現。祇園祭り山鉾の布、辻が花染の再現も行う。
 最後は、大阪芸術大学名誉教授として、生涯を閉じる。

 この吉岡常雄氏が、自ら三重県から取り寄せた、イボニシ貝のパープル腺から取り出した液のみで染めた、帝王紫の帯が、当時極めて高価であったのは、理解出来る。

しかし、帝王紫が話題となり、人気が出るに従い偽物も多く出る

新技術とこの記述にあるように、もう化学的に、合成されている

これは、吉岡常雄氏が、40年前、貝のみで染めた、本物の帝王紫です。天然染料にしては、澄んだ色です。
 
化学染料に比べて天然染料は、色がくすんでいるのが当たり前ですが、吉岡常雄氏、息子の5代目幸雄氏とも、鮮やかな天然染料を生み出す努力を怠多らなかった人達です。
 それにいくらコストが、かかっても

帝王紫(貝紫)③

吉岡常雄氏、この本の中に書いています

貝紫を染料に使ったのは、地中海、メキシコ、ペルー、日本

地中海のアッキガイ科の貝

遺跡からも、多数出土

これが、パープル腺。これ2000個で、染料1グラム!

この液で染めて、紫外線に当てると、赤みがかった綺麗な紫色になる

しっかり乾燥させないと、異臭が残る。2000年前のフェニキアのある町は、異臭が充満していたそうです。

その後、帝王紫の帯の異臭騒ぎが起きたのは、乾燥が不十分だったと、考えられます。

人気で、需要に供給が追いつかなかったのかも?

かくして、天然染料に生涯をかけた、染司4代目吉岡常雄氏は1988年8月、心不全で亡くなる。72才。

5代目、吉岡幸雄氏の話は、次回

帝王紫ストーリー続き

社長も、帝王紫の帯を持っています。

Jの落款入り

社長の母上が、40年前「最高級の帯」と言われ、娘の嫁入り衣装のうちの一つとして、買い求めたもので、その店の帯の中で、1番高価だったそうです。

異臭は、しませんが、これぞ染司よしおか4代目、吉岡常雄氏が三重県から取り寄せた、イボニシ貝のパープル腺から取れる染料だけを使った「帝王紫」あるいは「貝紫」。吉岡常雄氏、はあくまでも、天然染料にこだわった人です。

現在「帝王紫」と名打って、大量の帯が安く販売されていますが、100%貝から取れた染料からだけで作られたとは、思えません。

100%貝紫なら、あんな安く売り出せる訳が、ありません。

イベリコ豚しかりです。100%どんぐりだけ食べて育ったイベリコ豚はまれで、その肉は、極めて高価。1匹のイベリコ豚を育てる為には、2〜3ヘクタールのどんぐり畑が、必要です。

今の、着物業界は、商標が乱れています。中国で作らせた友禅染を「京友禅」として、売っています。

これからオープンする着物博物館は、本物だけを展示します

2000個の貝から、1gしか取れない帝王紫、表現の仕様のない色目です。

広島、呉のサクラダファミリア

大工は、北南酒蔵つなぎ部分の、漆喰下地作り。白い防水シートの上には、手作業焼杉を打ちます。

建具屋は

その、北南酒蔵つなぎ部分の、お客様休憩室のトイレドア作り

これは表

親の代から、腕のいい建具屋、いかんせん仕事が丁寧過ぎで遅い

昔のに似せて、北酒蔵仕切り壁の戸を作るよう指示したら

こんな図面を作りました。彼は、親の代から、シナベニアに鉛筆で、図面引きます。
超!アナログ人間! 息子2人は、余り売れていない、お笑い芸人! 親の彼の方が、味があって面白い!

ちなみ、酒蔵の窓の戸、戦時中に墨を塗ったまま、外壁はその上から、白ペンキ塗っています。

大きな、白壁の建物は、爆撃機の目標になったらしい

ところで、着物博物館⑨ 帝王紫続き

紀元前、フェニキアの特産品で極めて高価、シーザーのガウンになったりしたので、この名前。クレオパトラの船の旗にも使われた。地中海、アッキガイ科の巻貝の、パープル腺から取れる黄色い液体で生地を染め、紫外線に当てると、赤みがかった紫色になる。

1グラムの染料を取るのに、2000個の貝が、必要!

これに魅せられて、世界38カ国を訪問して、その研究に没頭したのが、染司4代目、吉岡常雄氏。

日本では、三重県のイボニシ貝のパープル腺から、この染料が取れる事を発見し、J織物と共同して「帝王紫の帯」を製作。T百貨店から売り出し、結構売れた。

しかし、この貝紫には、独特の異臭があり、100%この臭いを解消する事が難しく。帯を買った人から、
「タンスの中に変な匂いがする」
と言う、指摘が相次ぎ、T百貨店も販売を、やめてしまった。

ペルーの海岸で、チャンケという貝から取った液体で布を染め、紫外線に当てて紫色に変色することを現地人に示す、吉岡常雄氏

しかし、帝王紫に一生を捧げた吉岡常雄は、1988年、72才でお亡くなりになる。

この続きは、次回

 

広島、呉のサクラダファミリア、ナウ

北酒蔵、下は焼杉、南酒蔵、下はナマコ。どちらにしょうか?迷いましたが、面になっている、北酒蔵に合わせます

昔の意匠に合わせるためには、厚めの杉板を、バーナーで焼かなくては、なりません。

着物博物館⑨
帝王紫(貝紫)!

しかも!

この落款があるのは、本物中の本物!
「幻の貝紫」を使った、京友禅!
日本、もちろん世界に、10点もちろんありません!

この、帝王紫と言われる、紫の染料の話は、ロングストーリーとなるので、次回〜

 

夏休み!

お客様は、プライベートビーチと、テラスでのバーベキューを、堪能

広島、呉のサクラダファミリアは?

明治、大正の花嫁衣装博物館、木谷舘、見学者休憩室兼トイレ、石膏ボード貼り終わり。この上から漆喰塗ります。

現代着物博物館の方は?

内外装は、1年前に完成。後着物展示ケースの仕上げだけですけど、今は、コロナ隔離施設になっています。

岸田総理!コロナを5類にして、経済を回すのもいいですけど、医療、介護事業者の苦労も、わかってくださいʅ(◞‿◟)ʃ

広島、呉のサクラダファミリア、今日

北酒蔵の、酒造

北酒蔵の酒造部と、博物館の仕切り壁。石膏ボード貼ります

その、酒造部。杜氏が、三谷春梅酒、「潤」プレミアムの、火入れ(63〜65度のお湯に浸けて、火落菌の殺菌)を、しています。

販売部では、三谷春純米酒のラベル貼り。全て、1本1本手作業!

ここも、サクラダファミリアです

今日の、広島、呉のサクラダ

北蔵内部の仕切り壁、真壁にしました。

この蔵、昭和11年築。白壁に墨を塗って戦禍を逃れました。

美しい海鼠壁の着物博物館の外観。
大正12年建築、旧林医院。祖父は此処で、実に63年間!地域医療に携わりました。「仏の老医師」と、新聞一面に載った事からあります。
何度も改装して、この外観。しかし、駆体と屋根は昔のままです。

今、コロナ病棟になっているので、今日は入れません。