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2.ロイス氏の半生(幼少~青年期)

 フレデリック・ヘンリー・ロイスは、ハンティンドンシャーのアルウオルトンで、製粉業を営んでいたヘンリー・ジェームス・ロイスの5男として、1863年に生まれた。

 18世紀に始まった産業革命で、織物業が進化、製鉄業が格段に成長し、蒸気機関は動力源の刷新をもたらせた。19世紀になると、1921年にファラデーにより電気モーターが発明され、都市ガスの普及は、ガスをエネルギーとしたレシプロエンジンの開発につながった。

 彼が生まれた1860年代は、60年にベルギーのルノワールが、蒸気機関と似た構造のエンジンを開発、62年にフランスのロシャスが4ストロークエンジンの特許を取得、64年にドイツのオットーがエンジン製造に成功し、67年のパリ万博で金賞を受賞するなど、様々なガスエンジンが、産業用として普及し始めた時代である。

 4歳の時父ジェームス・ロイスの製粉工場は資金不足から機械化に遅れて倒産、一家はロンドンに引っ越した。当時の英国では、急速に発展したロンドンに、仕事を求めて国内中の生活困窮者が集まるとも言われていた。ここで、父ジェームス・ロイスは病気となり、F.H.ロイスは9才で新聞配達として働かざるを得なくなった。この結果11歳まで学校に通えず、通い始めてからも電報配達の仕事との両立が困難で、休みがちであったという。

 父が病死し、親戚の中で唯一裕福だった叔母の援助を受け、ピーターバーバラにある、グレート・ノーザン鉄道の機関車工場に15歳の時就職する。働きながら独学でフランス語や、機械の理論などを勉強するが限界を感じ、工業専門学校に聴講生として入学。当時最先端の電気に関して熱心に学んだ。

 18歳の時援助してくれた叔母が亡くなり、FHロイスはリーズに移って小さな工具メーカーに就職した。この年は、「自動車の父」と言われるカールベンツが、2ストロークガスエンジンに関する最初の特許を取った1879年の2年後である。因みに、ドイツではゴットリーブ・ダイムラーと、ウイルヘルム・マイバッハも同様の発明をしていたが互いに知らず、最初の特許を取ったのはベンツであった。ダイムラーはしかし、霧吹き型のキャブレターを備えた4ストロークのガソリンエンジンを開発し、1885に特許を取得する。

 自転車が趣味であったベンツは、3本のスポークホイールの後輪の間に4サイクルのガソリンエンジンを置き、最新式のコイル点火装置を備え、水タンクへの自然対流式冷却方式水冷の、長時間自走できる自動車を発明した。1886年1月29日、「ガスを燃料とする自動車(ドイツ語の直訳)」の特許が発給した。これは世界で初めてガソリンを動力とする車両に対する特許で、この日は「自動車の誕生した記念日」ともいわれる。奇しくもダイムラーもこの年ガソリン動力車両を発明していた。当時、電気、蒸気機関を利用した自動車も盛んに試作されていたが、ここでガソリンをエネルギーとする内燃機関の優位性が明瞭となる。

 さてFHロイスは、工具メーカーでは得るものがなく、再びロンドンに戻った。そこで電気に関する知識を認められ、エレクトリック・ライティング&パワージェネレーティングカンパニーに就職できた。ここでもさらに電気技術の習得に努めて才能が開花、ランカシャー・マキシム・ウエスタン・カンパニーにヘッドハンティングされる。しかしこの会社は1年半で倒産、ロイスはそれまで貯めた20ポンドを元手に、「ロイス&カンパニー」を設立した。これは、大手電機メーカーにランプホルダーやフィラメントといったパーツを卸す会社であった。FHロイスは、この時まだ20代であった。

 

 さて次回は、FHロイスが電気機械メーカーとして成功し、自動車に興味を持つまでの20年について、記述したいと思います。

令和2年2月7

林英紀記