Royce Blog

戦前の沖縄紅型

前回ご紹介したこの紅型が、戦前に作られたものである根拠は?

この縮緬生地のシボの細かさ、にあります。

そもそも、縮緬とは、絹生地を織る際、横に右に捻った糸と、左にも捻った糸交互に通すと、糸の縮む力で生地にシボと言われる、凸凹ができたものをいいます。16世紀末に南蛮貿易で堺に入り→西陣→丹後→長浜(浜縮緬)→岐阜、桐生、越後と、全国各地に広がり、畳んででも皺ができにくい事から、縮緬独自の発展を遂げて行きました。

以前紹介させて頂いた、城間家14代目、城間栄喜の紅型。首里城が描かれています。

貿易で栄えた沖縄を象徴する。船の図柄

この贅沢な、着物を作る紅型工房が14代も続いている事は、沖縄からいかに栄え、豊かであったかを、物語っています。 
 
 これは、絹の平生地、主布に紅型で染めるので、輪郭が綺麗にでます。

しかし、凸凹の縮緬生地で、綺麗な輪郭を出すのは、至難の業。又、戦後は縮緬生地の紅型は、ほとんど作られていない。

 全島焦土と化した沖縄に、このような良質な着物が残っている事は、考えられません。これは、京都の老舗呉服屋が戦前に仕入れたものが、蔵の中に眠っていた貴重品です。

 沖縄紅型3家系の内の何処かで、作られたものの一つと思われます。城間栄喜の父、城間栄松が、息子2人を丁稚に出しても売らなかった紅型2000枚も、全て焼け、城間栄喜の元に残ったのは、大阪に持って行った60枚だけ。この紅型の型は今ないかもしれません。

作者名は分かりませんが、いずれにせよ、素晴らしい芸術品です。