外壁モルタル、仕上げ塗り、ほぼ終わり
内部、C-1、石膏ボード貼り終わり。後、キッチンパネル、腰パネル、巾木、周り縁、額縁、壁紙で仕上げ
1階:昭和の車レンタル。1台仕上がり。
縦目グロリア
昭和46年製
コラム3段マニュアルシフト。現代の車に比べて、パワーが無いので、坂道はシフトダウンの必要あり。
ちょいアメ車的?
次は、クラウンです
さて
忘れてた! 建具屋は、ドアの細部の加工。しかし、遅い!
さてさて〜
解体現場?
当社、ルネサンス日本語学校、隣の建物を新校舎に〜 3部屋の壁を取り払って、教室に。学校用務員達が、ボツボツしています。
さて、着物博物館「お昼の部屋」続き〜
喜多川平朗:1898.7.15生まれ(誕生日、私と同じ!)、1988死亡。西陣、俵屋17代目当主。奈良時代に大陸から伝来し、平安時代から和様化した絹織物。
天皇家、十二単の表は、平朗氏による。
唐織と言われる、立体的に浮き出る様に、織ってあります。
優雅で品格が高く、どんな着物にも合い、着物と身につける人を引き立てます。
1対の衝立。全て平朗氏の作品の端切れです。
素晴らしい、日本の美! 17代の重みを感じます。
昭和13年作!
戦前なので、華族が存在していました。所謂、公・侯・伯・子・男(爵)。
当博物館、この振袖、森進一との結婚式で、大原麗子さんが着たのを作らせたのは、最高位の公爵、京都三条家。
戦後、貧乏のどん底。昭和22年に、国民1人あたり平均摂取量が、1200カロリーであったという、食べるにやっとだった日本国。多くの着物、帯、簪、帯留などが、海外に流出しました。
拡散し、忘れられる前に、保存し皆様に見て頂けるようにする事が、林酒造着物博物館の使命です。
忘れていました。17代目喜多川平朗氏、18代目俵ニ氏共に、人間国宝です。