今日の、美の壺でも、紹介されていました。
芹沢銈介は、全ての日用品に型染の美を応用しました。
しかし、300年続き、あれだけの戦禍を浴びながら、伝統を守った城間家、その流れを汲む玉那覇有公氏、より芹沢銈介氏が先に人間国宝になったのは、着物ファンで、創業217年の酒屋を守る筆者としては、少し疑問に感じるところがあります。
人間国宝の指定は、政治家の力も関係するという説もあります。
同じ民芸でも河井寛次郎氏は、人間国宝の指定を固辞しています。それも5回!
「やきものは、私1人で出来るものではない。手伝ってくれる人も一緒に指定して貰えるなら、受けます」と、
こんな人柄を反映してか、河井寛次郎の作品は、人間国宝のハクが無くても、未だに人気があり、高値で取引されています。