皆さんこんにちは、このコーニシュ物語⑤で記載させて頂いたように、筆者はアテネのパルテノン神殿の前で、衝撃をうけて、その後の医療介護施設を建てる時はパルテノンゲートを付けることにしています。
アテネに滞在している時、観光船に乗り「エーゲ海クルーズ」にも行きました。季節が冬で曇っていたためか、海の色はコバルトブルーでなく少し暗いイメージでした。しばらくクルーズすると小さな島が見え、観光写真にあるように白い四角い家がピカソのキュービズムのように斜面の一部を覆い、天辺にパルテノン神殿同様の柱が何本か残っている遺跡がありました。
もう40年も前のことなので、はっきりと覚えていませんが、そういう風景が何度か繰り返されたような気がします。「こんな小さな島まで立派な神殿があった」という印象が強く残っています。この事実は、パルテノン神殿の佇まいや、ロドスの巨像の話、サモトラケのニケ像の芸術性の高さ等共に、二千数百年前のギリシャをが、如何に繁栄していたかを物語るものであります。
筆者の学生時代、中国地方には高速道路がなく、国道2号線を走って広島まで里帰りすると15〜16時間もかかってしまうので、大阪の南港からフェリーに乗っていました。朝起きて、最上階のデッキから見る瀬戸内海の島々は実に美しく、緑で覆われた島が次から次へと現れ、その一部に黒い屋根の家がひしめく様に立ち並んでいました。
毎年始ニューヨークタイムズが選ぶ、「世界のこの年に訪れるべき場所」として、2019年「瀬戸内海の島々」が日本で唯一6番目に選ばれたのも、こういう風景のことであると思われます。さて、この瀬戸内海のこの風景に慣らされている筆者にとって、エーゲ海の木のほとんど生えていない島々の風景には少し違和感を覚えました。
この話をもとの高校の担任で、世界史を教えていた先生にお話しすると、「文明は、そのピークを迎えた後、急速に衰退する。その原因の一つは、木を取りつくすことだ」と仰った。
メソポタミア文明の栄える前、チグリス、ユーフラテス川に挟まれた地域は鬱蒼としたレバノンシーダ(杉)の森に覆われていたそうです。ギリシャやエーゲ海の国々においても、国力が増すと、家を建て、舟を建造し、武器を作ったりすることに大量の木材が消費されたはずです。森が消え森林の水を貯える機能も失われると、降った雨も地表からすぐに海に流れ込んでしまいます。その上この地方はもともと雨の少ない所であるので、いったん失われた森林の回復は難しくなります。クレタ文明も同様に衰退の道をたどっています。