コーニシュの歴史は、1967年に4ドアサルーンの「シルバー・シャドウ」ベースに、コーチビルダーのマリナー・パークワード(以下MPW)により作成されたボディを乗せた「MPW・ドロップヘッドクーペ」により始まります。
戦前、ロールスロイス社は、シャーシと機関、駆動系だけを供給し、ボディは「コーチビルダー」と呼ばれる会社が、顧客の好みに応じて手作りしていました。馬車の時代から熟練した職人を抱え、美しい木目の木材や豪華な生地を使い、贅沢な客室を作っていた会社群で、中には数百年の歴史を持つものもあります。
戦争に勝った英国はその代償として多額の借金を抱え、戦後、高価な運転手付きの車が売れなくなります。実際、王侯貴族か一番裕福な層用に製作されるファントムシリーズは、1939年にファントムⅢが生産中止(当館のは1938製)の後、1950年にファントムⅣが生産開始となりますが、18台しか生産されていません。
さすがのロールスロイス社も時代の波に逆らえず、自社でボディ製作を始め「スタンダードスチールボディモデル」として売り出します。当館に展示用として置いてある「1961シルバークラウド」「1976シルバーシャドウ」「1990シルバースーパーⅡ」がこれにあたります。
しかし、プライベートな2ドアモデルや豪華なリムジンなど、複雑なボディ製作は、それまで通りコーチビルダーが担当することになります。1960年代、英国には300余りのコーチビルダーがあり、その最高峰に君臨するのが、このコーニシュⅡを含め、当館の多くの車を作ったマリナー・パークワードです。
この会社は諸説ありますが、当館1936年製25/30を作ったアーサーマリナー社、1954年製シルバーレイスを作ったHJマリナー社、1938製ファントムⅢを作ったパークワード社を合併させて、ロールスロイス社が傘下に置いたものです。
ロールスロイスがBMWに、ベントレーがフォルクスワーゲングループに身売りされる前のクルー工場に於いては、ロールスロイス社の職人に混じり、MPWの職人集団がアルミ板を木製ボディに当てて木槌ハンマーで打ち、あの美しい局面を作り出し、それを溶接したり、クルミの木の根っこを削りウッド部分を製作したり、コノリー社製の最高級レザーを裁断したりの業務にあたっていたそうです。
現在このクルー工場では、フォルクスワーゲン傘下となったベントレー特注モデルの製作にあたっているそうです。