ご無沙汰しています。
一部屋、C-1クロス貼り終り、カーテン付きほぼ終り。あと桜御影の天板、テレビ、家具の搬入です。
大工は、C-2にかかっています。
ペンキ屋は?
ベランダ手摺ペンキ塗り
これが終わると〜
レストラン、パイレーツオブ笹子島の山側バルコニー、通称「ジュリエットのバルコニー」と同じ、イタリア製の面材付けます。
同じバルコニーでも、海側は?
海を望むの、邪魔しないよう、黒です
さて、手の遅い建具屋は?
まだ、玄関ドア作り‼︎
いつまで、かかっとんやー‼︎
さて、1階「昭和の車レンタル」用の車は?
1971、2代目クラウン
タイア全て新品に
ヒーターホースが破れそうなので、取り替え。それが終わると、試運転→車検受け。
さて、好評の林酒造着物博物館紹介シリーズ
帯の部屋から、左手、元待合室
琉球紅型、復活の父:城間栄喜
兵士3万、民間9万、人口の1/4が亡くなり、全島焼の原に、租界していた息子2人を熊本で見つけて連れて帰る。
妻ウシは死亡、テントの並ぶ首里の街で、得意の釣りで生活。米軍のゴミ箱から集めた、レコードからへら、古地図から紅型、薬莢から、筒先作り、紅型復活を始めた。
交易で栄えた琉球を象徴する、首里城と貿易船の柄
これはその息子、城間家15代目栄順
栄喜氏の弟子で、娘婿の玉那覇有公、人間国宝になります。
栄喜氏娘婿の、玉那覇有公、しばらく途絶えていた両面染を再現。のち人間国宝になります。
沖縄を愛し「首里城を3度救った男」と言われる、鎌倉芳太郎。後人間国宝
琉球紅型を研究し、そのデザインをあらゆる日曜日に広げ、最初の人間国宝になった、芹沢銈介。この人専門の美術館もあります。
それと〜
特別美しいのがあります!
琉球紅型戦前物!新品!
全島焼野原になった沖縄では、あり得ません
京都の大手問屋さんの蔵から出てきたもの!80〜90年の眠りから覚め、当博物館に〜