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帝王紫⑤

吉岡常雄氏が三重県から取り寄せた、イボニシ貝のパープル腺から取り出して染めた帝王紫。
京都のJ織元が、T百貨店の上品(じょうもん)会と言う展示会で、当初は数百万の値段をつけて売り出す。これが話題となり、多くの注文がはいり、吉岡常雄氏は、大型冷凍庫を購入して、これに応えるようにする。中には糸染めて帯にするだけでなく、着物への絵の注文も入る。
 しかし、この多く作り出した帯や、素描の着物の中には、「タンスに入れておくと、変な匂いがする」と言うクレームがつくものが、出てくる。
 そして、T百貨店はJの帝王紫帯の販売を中止、吉岡常雄氏も亡くなる。

 その後を継いだのが、染司5代目、吉岡幸雄氏。幸雄氏は、当社染屋を継ぐのが嫌で、1971年早稲田大学文学部に、入学。次男さんが、5代目を継ぐことになっていた。

常雄氏初期の帝王紫

吉岡幸雄氏は、常雄氏の紹介である会社に入るが、勤人生活が合わず、自分で美術図書専門の出版社:紫紅社を1973に設立、成功を収める。
 しかし、染屋を継ぐ予定の次男氏から、「僕はこの仕事に合わないので、兄貴に返す」といわれ、1988年に染司5代目当主を継ぐ。91年に着物文化賞受賞、その後、薬師寺、東大寺の技楽装束を、完全に天然染料を使って製作。
 染司よしおかは、代々天然染料を使い、化学染料にも劣らぬ鮮やかさを作り出す染屋であった。しかし常雄氏の帝王紫は話題を呼び、貝から取り出した染料のみを使ったのではない、帝王紫が巷に出始め、J織物もその波に呑まれてしまう。
 そこで、吉岡幸雄氏は、J織物と袂を別れ、当時京都で最高級の着物だけを作っていた、晃永衣装と独占提携し、染料を納める。

それが、これ

この訪問着、製作に10年の歳月がかかっている。

帝王紫に染めた糸と、友禅染。

ぼかし染

染め、手の込んだ刺繍

晃永衣装は、吉岡幸雄氏から、パープル腺から抽出した液を、直接購入。糸を染めたり、友禅の色挿しに使ったり、刷毛染めしたり、薄くして桶染に使ったりした。

これは、別の色留。生地全体を薄めた貝紫の桶に浸けて染めている。

素晴らしい金駒刺繍で囲まれ、染まってない部分と、染めた糸の刺繍

とにかく、年月をかけて、ゆっくり自然乾燥させることか、後に匂わない秘訣。

従ってこの、吉岡帝王紫と晃永衣装の落款の入った着物は、世に10点もない。

先の訪問着は、その最高峰。
刺繍も、最高の職人が手がけている。

超貴重品

2000年の歴史ある貝紫。ひたすら、しっかり乾燥させて次の工程にはいり、10年越しで作られたと思うと、一見の価値がますます湧きます。