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11.名車シルバーゴースト誕生まで

 1906年3月ロールスロイス車の製造を担当していた:Royce Ltd.と、販売を担当していたS.Rolls Co.は、正式に合併、新たにRolls-Royce Ltd.となった。だだしこの時点では、Royce Ltd.中には電気部品と電動クレーン部門が相変わらず稼働しており、これは合併することなく独立した企業として残された。この部門がロールスロイス社に合併されるのは、1933年にF.H.Royceが病死してから後のことである。

 

 (唯一の失敗ではあるが、革新的なV8エンジン製作成功)

 クロードジョンソンは、最初はロールスロイス車に大して注目していなかった。ロールスロイスの代理店になるためには、他社の車の販売を止めなければならないからである。しかしこの車の真価がわかるにつれ、自ら進んで販売に力を入れるようになった。彼は30馬力車を駆って、苛酷なスコットランド・リライアビリティ・トライアルに出場して、ロールスロイス車の名を広め、ヨーロッパやアメリカでも多くの競技に出場して、かなりの成績をおさめた。ロールス卿も、アメリカで数々のレースに出場し、ロールスロイス車の名前を弘めた。

 ジョンソンは次に、「エンジンの存在を感じさせないような、豪華なタウンカー」を造ってくれ、とロイスに頼んだ。これは、友人のヘンリー・ハ―ムスワース卿のアイディアであり、電気自動車との市場競争が背景にある。1905年当時は、静かで乗り心地が良く、扱いやすさという面では、市街地では電気自動車に分があった。しかもガソリン車は、エンジンをかけて動き出すまでの操作が大変であり、その騒音等は馬を驚かせ、市内を騒がせることが度々あったのである。つまり、エンジンが見えず、振動が感じられず、音がせず、臭いもしない自動車:「馬無し馬車」であり、19世紀後半にベンツが開発した初期の自動車のようなボンネットなしの骨董的型式車である。しかも、当時ロールスロイス車が世間から評価されている特徴を全て備え、当時のロンドン市内の制限速度である時速32キロを絶対に超えないという条件付きである。

 そこでロイスは、4気筒ずつのシリンダー列が90度になったV8気筒、3.5リッターのエンジンを開発した。そしてこのエンジンを床下に積み、前述の要求を全て満たした2台の新型車が造られ、華々しく宣伝された。しかし、この新型車「リーガリミット」は完全に商業的には失敗であった。フロントにエンジンルームのない「馬無し馬車」のスタイルは、間が抜けて見え、全く顧客に人気がなかった。やはり、当時最先端であるガソリン車を購入するお金持ちのエリート層は、立派なエンジンルームが前にあるスタイルを好んだのである。しかも、「ロールスロイス社は、なぜ顧客の良心を信用しないのか?」と、世間から非難を浴びた。英国紳士は、あくまでも制限速度を守り、人の迷惑になるような走りをしないことに、誇りを持っていたからである。

 世界で初めてV8エンジンを市販車に搭載したのは、1909年フランスのド・ディオン・ブートンとなっているが、このエンジンは加工精度や吸排気系統の設計に難があり、パワーもなく、誠に不出来であった。実用水準のV8気筒エンジンを開発して、商業的に大成功したのは、1914年アメリカのキャデラックである。ロイスはこれより9年前も前に、このV8エンジンを実用化していたのである。もしこの不細工な馬無し馬車である「リーガリミット」が市販され商業的に成功していたら「世界で初めてV8エンジンを市販車に搭載した」という栄誉は、ロールスロイス社に降りていたはずである。この点においても、「ロイスは、独創的な仕事が出来ない」という説が誤りであり、「技術的天才」だけでなく「設計的天才」であったともいえる。

 やはり前にエンジンが入った立派なフェンダーがついている方が、自動車らしいという美的意識が、当時の人たちだけでなく現代人でも一般的であると思われる。現在でも、前に美しいパルテノングリルがつき、フロントノーズの長いロールスロイスは、エクスクルーシブ(排他的)で特別な存在であることは確かである。

(ジョンソン6気筒車に注力:6気筒車の欠点)

 さて、ジョンソンはこの失敗に懲りて、お気に入りの6気筒30馬力の販売に全力を注ぐことにした。しかもイギリス国内のネイピア社をはじめとする他メーカーとの販売競争も激化して来た。1904年から5年の間に、イギリス国内だけで62もの6気筒車のメーカーが存在した。この中に、フォード・モーター(アメリカから輸入)のモデルKも含まれる。ネイピア社は、ロールスロイス社が➈で記述したように、1904~1906の間に100台近く生産したのに対し、1903年すでに250台生産し、1904年に6気筒車を発売すると発表。そして4.9リッター、18hpのこの車はロールスロイス同様「驚くほどスムースで柔軟」と言われ、ネイピア社最初の商業的に成功したモデルとなった。

 この販売競争に勝つためには、ロールスロイス6気筒車は絶対に克服しなければならない、機械的欠点が存在した。それは、2気筒を3個連ねた6気筒エンジン特有のねじり振動で、そのためにクランクシャフトに故障が多かった。ロイスは、このねじり振動が実用回転域で起きないようにいろいろ骨をおった。しかし1905年末、頭を使い果たした彼は、これを克服するには全く新しいエンジンを設計しなおさなければならない、という結論に達した。

 この結果誕生したのが、ロールスロイスに世界最高の自動車としての地位を確立させ、20年近くその座を譲らなかった40/50型:シルバーゴーストである。

 

 さて、次回はこの20世紀最高の名車「シルバーゴースト」開発の秘密について、記載したいと思います。

 

 令和2年3月17日                

 林英紀