ロイスが初めて造った2気筒10馬力の車は確かに優れていた。しかしこれは「2気筒車としては」という但し書きのもとにであった。2気筒車よりパワーのある4気筒車のほうがよりスムーズで取り回し易いことは、揺るぎのない事実である。
筆者も1936年、4600cc直6気筒の25/30と、1938年、7400ccv12気筒のファントムⅢを運転することがあるが、後者の方が、パワーがある分格段に運転しやすい。一番難しい坂道発進の際ファントムⅢでは、ステアリング軸についているスロットルを開いて回転を上げておき、クラッチを繋いでサイドブレーキを解除すれば、右足のアクセルワーク無しでできる。パワーのない25/30でこれをすると、傾斜の強い斜面では、エンストの恐れがある。
ロイスは、要求に応えるために、まず2気筒をさらに信頼性の高いものとすることを考え、クランクシャフトを、2ベアリングから3ベアリングにした。そして、同じクランクケースを持つ2気筒のブロックを、2個つないで20馬力を、3個つないで30馬力を作った。また2+1気筒という変則デザインの3気筒15馬力も、これら同様1904年中に作製した。短い期間にこれだけのものが作れたのは、あくまでも造りがオーソドックスで、共通の部品を使い、排気量アップはシリンダーの数を増やすという方式を取ったためである。これはもともとロイスが頭の中に描いていたものであった。
技術者であるロイスと、資本家でありレーサーとしてロールスロイス車の宣伝に携わるロールスの陰で、クロード・ジョンソンは抜群のビジネスマネージメント能力を発揮した。このジョンソンと、ロールスは、車を美しくデザインすることを、ロイスにアドバイスする。いくら機械的に優れていても、外観が悪ければ顧客にそっぽを向かれる恐れがあるからである。
この「見た目の美しさ」に生涯をかけた車の設計者がいる。それが、エットーレ・ブガッティである。ブガッティは、車の外観や内装だけでなく、エンジンそのものも見た目の美しさにこだわった。馬蹄型の美しいグリルなどのデザインもさることながら、エンジンフードを開けた時にそこにあるエンジンの美しさは、他に類を見ない。
エットーレ・ブガッティの父は、家具、宝飾品のデザイナーで、芸術的才能は家系からくるものでもあり、見た目の美しさだけでなく、機能的にも最高の車を作り上げた。「自動車史上最高に美しい車」と専門筋から言われるのが、全長7mのボディ長半分以上に12.763ℓのエンジンを積む、ロワイヤル・クーペ・ナポレオンである。これはエットーレが機関系を、エットーレの息子で天才デザイナーであったジャンが、外装のデザインを手がけたものである。ジャンは後に、33歳の若さで自動車事故の為亡くなる。このクーペは、1930年前半に6台だけ作られたブガッティ・ロワイヤルのうちの1台で、殆ど公道を走ったことがないので、一般にはあまり知られていない。因みに、一時期この6台の内1台が日本に住んでいたが、海外に買われていって今はいない。さて一般的に、市販車で「最も美しい」と言われているのが、ジャガーEタイプであり、これもロングノーズの外観を持つ。のちに、ロングノーズのファントムⅡから、エンジンとラジエターを前に移してノーズが短くなったファントムⅢのことを、セトライト氏は「醜い」と記しているが、馬車の時代から人の乗る位置が後ろにある方が、美しいと感じることは確かである。
さて、外観の美しさを求めてロイスがたどり着いたのが、あの「パルテノングリル」と呼ばれる、パラディオ式(古代ギリシャ、ローマの神殿建築をもとに、ベネチアの建築家、アンドレ―ア・パラーディオが16世紀に確立した建築様式)のグリルである。これは、1903年に生産を中止したイギリス車のノーフォークが採用していたものとされる。しかし、それに加えエンタシスを採用したのは、ロイスの独創であった。
エンタシスというのは、まっすぐな長い円柱を下からみると、真ん中がへこんで見えるというような人間の目の錯覚を矯正するために、中央を太くする等、ギリシャの神殿などで採用されている方式のことである。
パルテノン神殿は、ギリシャの首都アテネの中心部の、小高いアクロポリスの丘の上に立っている。朝日を一番に浴び、夕日を最後まで浴びるのが、白い大理石を使い、約2500年前に建てられたこのパルテノン神殿である。エンタシスの柱は上に向かって少し内側に傾けられている。垂直に立って、屋根の端が乗っている柱の下に立つと、倒れてきそうな錯覚が起きる為である。4隅の柱は内側の柱より、少し太く作られている。これは、両方に開けた空間の柱は、内側の柱より細く見えるからである。また、神殿の床は中央が凸になっている。これは、完全に水平な広い面の上に立つと、真ん中が凹んで見える為である。また、上に乗る三角屋根の縦横の比率も、最も美しく感じるように取られている。このようにパルテノン神殿は、エンタシスを採用して人間が見る目の錯覚を矯正し、安定感と美しさを究極的に追求している建物である。また、この神殿の前に立つと、あらゆる西洋建築のルーツがここにあることを感じさせる。
この、パルテノングリルは、ラジエターを兼ねていたので、製作に非常に手間と暇がかかった。それにも関わらず、これを採用したのは、ロイスが完全主義者であったからに他ならない。
後に、このパルテノングリルが空力的に不利であることより、ロイスがこの形を変えようとすると、クロード・ジョンソンは強く反対した「このラジエターの付いてない『ロールスロイス』は、もはや『ロールスロイス』ではない。どんなことがあっても、この形を変えてはならない」と。かくて、このパルテノングリルは、ロールスロイスの象徴として
100年以上続くこととなる。
さて次回は、ロールスロイスの車造りのさらなる発展について、記述したいと思います。
令和2年3月5日
林英紀